<コラム>新型肺炎下の春節、過ごし方にも変化

吉田陽介    2020年1月30日(木) 23時10分

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春節といえば、大晦日には家族で「年夜飯」を食べ、「春節聨歓晩会」を見て年越しし、親戚回りをするというものだったが、今年はその過ごし方も変わっている。写真は新型肺炎が発生した湖北省武漢市。

さらには、「若い者はもともとこんなの好きじゃなかったから、キャンセルになってラッキーだ」、「面倒なことが減った」と親戚の集まりの中止を喜ぶユーザーもいた。

私の家ももともと春節は妻の親戚の家を数軒訪問して新年の挨拶をし、親戚が集まる食事会にも参加する予定だったが、すべて中止になった。12歳の私の子供は中止になったと知ると、「やった。自分のことができる」と喜んだ。集まりの中止を喜ぶネットユーザーとまったく同じ反応だ。

ネットユーザーの発言をみると、「若者賛成、年長者反対」という図式ができるが、必ずしもそうではない。

「レストランは人がたくさん集まるところで、どんな人がいるか分からないのでとても危険だ。今回は集まりをやめたほうが無難だ」と理性的に考える年長者もいる。もちろん、集まったほうがいいと考える年長者がいるだろうが、私のまわりの年長者は、「今回は特別な時期だから仕方ない。またの機会があるから」とあっさりと集まりの中止を決めた。賛成する年長者と反対するそれとの違いは、まず、接する情報の多さが挙げられる。高齢者のなかには、スマホでさまざまなニュースをみて、情報収集する人もいるが、テレビや新聞くらいしか見ない人もいる。もちろん、スマホ経由で入ってくる情報にはニセモノもあるが、情報量は自分が判断を下すときに役立つ。もう一つは、責任を背負っているかどうかだ。孫の面倒をみている年長者は、自分が健康を害したら孫の学校への送り迎えやその他諸々の仕事ができなくなってしまうので、健康には人一倍気を使う。そのため、集まりを一回くらい中止しても大したことではないと考える。

また、都市部と農村部でも新型肺炎の注目度にも差がある。都市部は人が密集しているので、必然的に関連情報に注目するが、農村はもともと人が少なく、流動人口も少ないので、注目度が下がる。ゆえに、中国の専門家が指摘しているように、農村では新型肺炎のことを相対的にみて重く見ないので、春節の集まりをやっても問題ないという人が出てきてもおかしくない。

今回の新型肺炎のことで、若者と年長者の春節の集まりについての考え方の違いがより浮き彫りになったと私は考える。

若者が集まりの中止をよびかけたもう一つの理由

これまでも春節の時期になると、親戚の集まりが億劫というようなネットユーザーのつぶやきがあった。それは前出のユーザーのコメントのように、「若者はもともと好きではない」と考えている証拠だ。

その背景には、年長者と若者の間に春節の集まりについての考え方の違いがある。

若者にとって春節の集まりに出るのは「義務」に近い。ただ、お年玉をもらうという特典はあるが。

年長者にとって、春節の集まりは「楽しみ」だ。

私の子供は小さいとき、親戚回りに行く途中、妻の父に「どうしておじさんのところにいくの?」と聞いた。というのは、その親戚の家に行っても、年寄り同士が昔話に花を咲かせているだけで、退屈だからだ。

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