<羅針盤>「太陽を愛したひと ~1964 あの日のパラリンピック~」に感動=身障者工場を創った父・一真も“登場”―立石信雄オムロン元会長

配信日時:2018年9月2日(日) 5時0分
身障者自立のドラマ「1964 あの日のパラリンピック」に感動
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「太陽を愛したひと ~1964 あの日のパラリンピック~」とういうNHKノンフィクションドラマが放映された。1964年の東京パラリンピックを成功に導き、障害者の社会復帰に一生を捧げた医師・中村裕の波乱の人生を描いた感動の物語である。
「太陽を愛したひと ~1964 あの日のパラリンピック~」とういうNHKノンフィクションドラマが8月22日に放映された。1964年の東京パラリンピックを成功に導き、その後、障害者自立のための施設を設立するなど、障害者の社会復帰に一生を捧げた医師・中村裕の波乱の人生を描いた感動の物語である。

1960年、整形外科医の中村裕博士は研修先のイギリスで、スポーツを取り入れた障害者医療を学んだ。その時に出会った言葉が、その後の彼の人生の原動力になる。
「失ったものを数えるな。残っているものを最大限に生かせ」。

帰国した中村医師は、障害者スポーツを何とか広めようとするが、日本ではリハビリという言葉すらなかった時代。「見世物ものにしないでほしい」と抵抗にあうが、下半身が不自由な少年との出会いをきっかけに、車いすバスケットボールを少しずつ普及させていった。

中村医師は1964年の東京オリンピックと同時開催されたパラリンピックの成功に向け奔走。社会の常識という壁が立ちはだかり、障害者の家族からも反対の声が上がったが、家族や仲間の支えで、次々と突破。東京パラリンピックを成功に導いた。その後、障害者自立のための施設を設立するなど、障害者の社会復帰に尽力した。

ドラマの後半部分に人気俳優の向井理さん演じる中村医師が立石電機(現オムロン)本社を訪ね、田山涼成さん扮する立石一真社長(オムロン創業者)に懇願するシーンがある。「これまで多くの企業に要請したが、断られました。障害者自立のための施設の設立に協力してほしい」。父の一真は「共同出資という形でやりましょう」応諾。その後社会福祉法人「太陽の家」とオムロンとの協力による身体障害者のための福祉工場が設立され、工場で身障者が生き生きと働く様子がドラマで再現された―。

◆身体障害者の福祉工場「太陽の家」
太陽の家は、大分県別府市、愛知県、京都府にある身体障害者が社会復帰するための訓練施設である。オムロンでは「太陽の家」の活動趣旨に賛同し、資金を寄付するとともに、「太陽の家」との合弁により、身体障害者が働きやすい環境を整えた福祉工場「オムロン太陽(大分県別府市)」と「オムロン京都太陽」を設立した。

設立するに至ったもともとの経緯は、前述のドラマで描かれた創業者・立石一真と故・中村裕医学博士との出会いにある。1971年9月、中村博士と評論家の秋山ちえ子氏が重度身体障害者の社会復帰のことで、京都・御室の本社まで依頼にみえた。中村博士は整形外科の名医で、以前から別府に私費を投じて重度障害者の職業訓練のため、その施設として社会福祉法人「太陽の家」をつくり、自ら理事長になっていた。中村博士のお話では、「訓練には丸々2年かかるが、すでに400人の重度身障者を社会に送り出した。ところが、そのうち1割しか就職していない。身障者の訓練には特別に骨が折れるのに、それが無駄になっている」ということだった。この就職率の低さは、企業側の受け入れマインドの不足もさることながら、受け入れ施設の不備もわざわいしていた。重度身障行が働きやすく、居住にも便利な受け入れ体制を持った専門の工場をつくるより方法がないという結論になり、この工場の建設に協力してほしいと言ってこられたのである。

当時、当社では経営的に引き受けるのは難しい状況であったが、『企業は社会の公器である』との社憲の精神にのっとり、太陽の家との合弁で日本初の身体障害者福祉工場、「オムロン太陽」を1972年に設立した。そして、1986年には京都にも「オムロン京都太陽」を設立した。これらの工場の事業内容は、センサーやソケット、プログラマブルーコントローラといった電気機器の製造・販売を行なっている。このふたつの工場では、障害をもっている人が約300人おり、そのうち半数が重度障害者である。

◆障害者が自分たちの手で働きやすい環境づくり
 構内の配置は「障害者が働きやすく、生活しやすく」をベースに、仕事エリアと生活エリア、すなわち職住が接近しているのが特徴だ。また、彼らが働きやすいように、随所に工夫が凝らされている。たとえば生産ラインは、車いすで自由に動けるように広くとった通路設定や、ハンディを補うさまざまな工夫を施した多品種少量生産に対応する生産ラインとなっている。また、作業をする上で不自山な部分は社員が自分たちで工夫し、独自の補助器具や治工具を製作するなどして、生産性の向上を図っている。たとえば、車いすに乗ったままでも無理なく使用できるATMは、オムロン京都太陽の社員が開発に参加し、操作パネルの高さなどを調整して、完成させた。

中村医師が障害者スポーツを広めパラリンピックの礎を築いた。障害者福祉工場は全国に拡大したが、当社創業者の決断がその先鞭をつけたことについてNHKノンフィクションドラマで改めて確認させていただいた。

今中央省庁による障害者雇用の水増し問題が起こり、厚生労働省によると33行政機関の約8割にあたる27機関で計3460人の不適切な算入があったという。過去に死亡した職員を障害者として算入し、意図的に雇用率を引き上げた例があったと言われている。言語道断だと思う。
<羅針盤篇31>

1959年立石電機販売に入社。1965年立石電機(現オムロン株式会社)取締役。1995年代表取締役会長。2003年相談役。 日本経団連・国際労働委員長、海外事業活動関連協議会(CBCC)会長など歴任。「マネジメントのノーベル賞」といわれるSAM(Society for Advancement of Management)『The Taylor Key Award』受賞。同志社大名誉文化博士。中国・北京大、南開大、上海交通大、復旦大などの顧問教授や顧問を務めている。SAM(日本経営近代化協会)名誉会長。エッセイスト。


■筆者プロフィール:立石信雄
1959年立石電機販売に入社。1965年立石電機(現オムロン株式会社)取締役。1995年代表取締役会長。2003年相談役。 日本経団連・国際労働委員長、海外事業活動関連協議会(CBCC)会長など歴任。SAM「The Taylor Key Award」受賞。同志社大名誉文化博士。中国・北京大、南開大、上海交通大、復旦大などの顧問教授や顧問を務めている。
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