理研・笹井氏自殺を考える=メディアの堕落が生んだ理性の放棄―中国人専門家

Record China    2014年8月9日(土) 13時7分

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8日、中国メディアは理研・笹井氏の自殺について評論記事を掲載した。

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2014年8月8日、「理化学研究所の笹井芳樹副センター長が自殺を図り、現在、病院で治療を受けている」―今月5日午前、パソコンで仕事をしていた私は、インターネットで流れたニュースに目を奪われた。私は仕事の手を止めて、「自殺未遂」の続報が出てくることを念じた。だが20分余りして入ってきたニュースは「死亡を確認」とのものだった。私は手元の原稿を書き続けることができなくなった。(文:陳立行(チェン・リーシン)日本在住研究者、日中社会学会会長)

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私は笹井氏とは専門も違うし、個人的な付き合いもない。メディアでの報道以外の唯一のつながりは、私のよく知る日本人2人が笹井氏の高校時代の同級生だということくらいだ。6月に会った時も彼らは、STAP細胞論文をめぐる騒動の渦中に置かれた笹井氏を心配していた。

先端科学成果の報道はほとんどの人にとってニュースの1本に過ぎず、関心は通常高くない。だがSTAP細胞の報道は当初から多くの一般市民の関心の的となった。筆頭著者の小保方氏が「若く美しい女性博士」だったからである。メディアでは小保方氏の日常生活やファッション、バッグのブランドなどが細かく報じられ、高校時代の同級生にも取材の手が伸びた。科学成果の報道は完全に質を変えてしまった。だがそれから2カ月も経たないうちに、STAP現象の再現性に疑いがあるとの報道がインターネットから流れ始めた。ネイチャーに掲載された論文に複数の不適切な画像があったとの報道が出始めると、再生科学をまったく知らない人でもが論文の信ぴょう性を話題にするようになった。小保方氏の共同研究者もメディアの注目を集め始めた。

先端科学分野での競争の激化に伴い、各国では盗作や捏造などの重大事件が増加している。2005年には、韓国ソウル大学の黄禹錫(ファン・ウソク)教授がES細胞論文での捏造などでメディアの批判を受け、行政処分の対象ともなった。最近は黄教授の米国での特許申請も話題となった。STAP事件の調査では、笹井副センター長は実験の操作やデータ・画像の処理に直接参加してはいなかったことが明らかとなっており、責任があるとすればせいぜい指導・監督の責任があるにすぎない。

だがSTAP事件の日本メディアの注目や報道はもはや、研究論文の不正や科学検証の過程を問題とするものではなくなっていた。科学の内容では読者や視聴者の目を引くことはできないと分かっているからだ。注目を集めるためにまず、理化学研究所が槍玉に上がり、国家一流の研究所であったはずの同研究所が、巨額の研究費を獲得するためには手段を選ばない研究組織として報道された。笹井副センター長と小保方氏の人材採用や研究支援をめぐる関係も、事実無根のエピソードで意味ありげに描かれた。次に笹井氏の大学時代の恋愛話にまで報道は及び、笹井氏の高校時代の同級生が当時の人柄や交友関係についてのインタビューを受けたりもした。小保方氏の採用過程や2人の触れ合いなどにも焦点が当てられ、「ノーベル賞受賞者の山中伸弥教授をライバル視した野心家で、学生時代の失恋によって美人博士を寵愛・放任することとなった」という笹井像が作り上げられ、大衆週刊紙のほとんどが事件の報道を繰り返した。

科学研究の過程における成功や失敗には偶然の要素は排除できない。STAP現象が悪意の捏造だったのか偶然の現象だったのかはまだ科学的に結論付けられていない。理性的に考えれば、科学的な成果は実験の繰り返しによって実証する必要があるが、それには時間と静かな環境、平常心が必要となる。商品利益を追求する堕落した日本メディアの圧力の下、一般の庶民だけでなく、一流の科学機構である理化学研究所までもが、持つべき理性を失ってしまったのかもしれない。

日本の多くの一流の学者は、研究分野で卓越した成果を持つだけでなく、日常の仕事の中でも魅力的な人柄を見せる人が多い。私は2011年から世界社会学会組織委員会の委員として、日本の著名な社会学者と仕事をする機会に恵まれてきた。そうした人と親しく付き合う中で分かったのは、優秀な日本の学者は目標達成のために共同で知恵を絞りさまざまな方法を検討し、努力をやめることがないということだ。例え成功しなくても、手段を選ばず何でもやることは決してしない。問題が起こったら勇気を持って責任を取る。日本では、利益を得るために成功を焦り、手段を選ばず、責任を負わないような人は、学術分野のトップに立つことはできないし、ある分野をリードするような人物にもなることはできない。

STAP細胞論文をめぐる騒動は、その端緒から今回の悲劇に至るまで、メディアの堕落によって社会が理性を失い、科学成果を科学的な態度で評価する理性的な軌道を外れたことを示している。理性の中で羽根を伸ばすはずの科学者が、理性を失った社会を前に取った選択は、日本だけの悲劇ではなく、世界の科学界にとっての損失となった。(提供/人民網日本語版・翻訳/MA・編集/武藤)

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