太平洋戦争で徴用された船員14万人の43%が犠牲に=観音崎の戦没船員慰霊碑で「平和」を祈る

山本勝    2022年4月13日(水) 7時50分

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三浦半島観音崎の高台に戦没船員の慰霊碑がある。先の太平洋戦争で亡くなった6万人余の船員の霊が祭られている。

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三浦半島観音崎の高台に戦没船員の慰霊碑がある。先の太平洋戦争で亡くなった6万人余の船員の霊が祭られている。戦線拡大とともに輸送船隊は壊滅。未成年、漁船など小型船の乗組員をふくむ、招集、徴用された船員14万人の43%が犠牲となったのだ。犠牲者の安らかな眠りを祈り、平和な海が続くことを念ずる。

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神奈川県三浦半島の観音崎、はるか東京湾の入り口と太平洋を見晴らす高台に戦没船員の慰霊碑があるのをご存じだろうか?

毎年春(例年5月)と8月15日の終戦記念日に遺族、関係者による献花が行われ、昭和46年5月の第一回追悼式に皇太子、同妃両殿下(現上皇、上皇后両陛下)が行啓されて以来、春には皇室の方々の行幸啓、献花が恒例となっている。

◆戦争で喪失した日本商船は2千数百隻

先の太平洋戦争については、NHKのドキュメンタリー番組「ドキュメント太平洋戦争」でも取り上げられたように、輸送船隊の壊滅により、南方に拡大した戦線の維持が不能に陥ったことが最大の敗因である、との分析が説得力をもって語られている。世界から孤立した日本が戦争を継続するためには、日本から大量の物資と人員を戦地に送りこむことと、日本での生産に必要なエネルギー、ゴムその他の資源、原材料を大量に南方の生産地から内地に送り届けることが不可欠だからだ。

戦争で喪失した日本商船は2千数百隻、約800万トンとされるが、そのほぼ6割は開戦3~4年目に、主として敵潜水艦の攻撃によって失われたとの記録があり、米国のシーレーン破壊という明確な作戦がうかがい知れる。

2021年の大佛次郎賞を受賞した堀川恵子著のノンフィクション「暁の宇品-陸軍船舶司令官たちのヒロシマー」では、兵站・輸送を一手に担った広島県宇品の陸軍船舶司令部の様子が記録として克明に描かれている。軍中枢の指示に従い現場の司令部で練り上げられた当初の商船の徴用計画が、喪失する船舶が急増するにつれ、現場を無視した軍部の弥縫策によって実行不能に陥り、ついには破綻に至る経緯がよくわかる。

今次戦争で招集、徴用された14万人の船員のうち、実に43%(海軍の死亡率は12%とされる)、6万人余が犠牲となった。

◆油の浮かぶ海を泳ぐ

筆者が入社したてのころには、乗り合わせた乗組員から戦争中攻撃を受けて船が沈み、油の浮かぶ海を泳いだという話を幾度となく聞いた覚えがある。しかも二度も三度も海に投げ出された悲痛な経験を語る仲間の顔は忘れられない。事実、戦争が進むにつれて、船員がひっ迫し、九死に一生を得た船員を、繰り返し非情の海に送りだしたのだ。

最近、筆者の知り合いから戦争中の手記が見つかったが、船の用語がわからないので見て欲しいという依頼があった。まさに太平洋戦争で徴用された商船の船員が残したもので、乗り組んだ船が開戦時のマレー上陸作戦の兵站輸送に徴用され、作戦最後に爆撃を受けて座礁、なんとか一命をとりとめて船と共に内地まで帰る途次、さらに二度の攻撃で船は撃沈、それでも生き残った本人がその詳細を書き記した生の記録だった。

本人はすでに亡くなられたが、戦時中の経験を語れる人はもうほとんどいなくなってしまっただけでなく、このような手記が見つかるケースも最近では稀となった。

筆者も協力して、本手記を多くの人に知ってもらおうと、親族の了解を得て、雑誌への掲載や関係海事団体への寄贈など、開示と保存の活動を行っている。戦時の海の現場の記録は少なく、こうした手記も含めて貴重な歴史の一部として今後に残して欲しいものである。

◆戦没船員の約3割は14~20歳未満の未成年

さらに悲しい事実として、6万人余の戦没船員の約3割は14~20歳未満の未成年であったことだ。船員のひっ迫は、生き残り船員だけでなく、未成年の徴用にまで及んでいたのだ。

また徴用されたのは、商船だけでなく漁船、機帆船などの小型船も多数におよび、その死者は約3万人と商船の犠牲者とならぶとされる。

観音崎の戦没船員慰霊碑には、こうして亡くなった船員6万人余が眠っているのだ。

太平洋戦争は、一般市民をふくめてアジア全体で2500万人を上回る犠牲者を出したといわれ、日本船員として乗り組んだ3千数百人の台湾出身者、朝鮮半島出身者もその犠牲者であったことも忘れてはいけない。

毎年、慰霊碑に向かうたび、戦没船員の安らかな眠りを祈るとともに、二度と不幸な戦争を繰り返すことなく平和な海がつづくことを念じている。

■筆者プロフィール:山本勝

1944年静岡市生まれ。東京商船大学航海科卒、日本郵船入社。同社船長を経て2002年(代表)専務取締役。退任後JAMSTEC(海洋研究開発機構)の海洋研究船「みらい」「ちきゅう」の運航に携わる。一般社団法人海洋会の会長を経て現在同相談役。現役時代南極を除く世界各地の海域、水路、港を巡り見聞を広める。

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