「ウサギの島」として有名な大久野島はかつて「毒ガス島」だった―中国メディア

人民網日本語版    2019年8月15日(木) 16時50分

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広島県竹原市に属する大久野島は、瀬戸内海に浮かぶ周囲約4キロの小さな島だ。

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広島県竹原市に属する大久野島は、瀬戸内海に浮かぶ周囲約4キロの小さな島だ。1929—45年、日本の陸軍はこの島で、マスタードガスやルイサイトなどの致死性毒ガスを製造していた。そして、ここで作られた大量の毒ガスが、中国侵略戦争期間中に中国へ運ばれ、中国の国民に大きな被害をもたらした。広島の民間団体「毒ガス島歴史研究所」の事務局長を務める元教師の山内正之さん(74)の案内の下、竹原市の忠海港からフェリーに乗り、秘密の島として日本政府がかつて地図から消した大久野島に渡った。人民日報が報じた。

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▼「日本はこの歴史を特に知るべき」

8時30分に、忠海港を出発。フェリーで、山内さんは、「前事不忘、後事之師(過去の経験を忘れないで将来の戒めとする)」という漢字8文字が書かれた名刺をくれた。そして、「あそこにはっきりと見える小さな島が大久野島だ。第二次世界大戦中、大久野島のほか、さっきフェリ-に乗った港にも毒ガス貯蔵施設があった」と説明してくれた。

15分後、大久野島の港に到着。初めに目に飛び込んできたのは、かわいいウサギだった。大久野島は、ウサギがいることで人気の観光スポットになっており、山内さんはそれは決して悪いことではないと感じている。大久野島に来る多くの人が、ウサギを見るほか、かつて「毒ガス島」だったこの島の暗黒の歴史についても知ることになるからだ。統計によると、毎年約40万人が大久野島を訪れ、そのうち約6万人が大久野島毒ガス資料館を見学している。

「日本は特にこの歴史を知る必要がある。歴史を教訓とし、悲劇を2度と繰り返してはならない」と山内さんは語る。

日本政府は当時、大久野島で毒ガスを製造している事実を隠そうと躍起になっていた。1932年、旧日本軍は大久野島を地図から消すことさえした。地図に大久野島が復活したのは1947年以降のことだ。第二次世界大戦後、日本政府は、毒ガス島に対し無毒化処理を施した。現在、島の様子は戦争当時とは全く違うものの、依然として、毒ガス貯蔵施設などの戦争遺跡が多く残っている。

「これはこの島で一番大きな毒剤貯蔵庫。百トン規模の大型毒剤缶6個を貯蔵することができた。私の後ろに見える焦げて黒くなっているところは、当時、火炎放射器で炎が投射された跡だ」。どの戦争遺跡でも、山内さんは毒ガス弾の製造、貯蔵、運送、後処理の歴史を説明してくれた。

1963年、日本政府は、大久野島に国民休暇村を開設した。そして1988年には、有志団体「大久野島毒ガス被害者対策連絡協議会」が各方面から資金を調達して、大久野島の港近くに大久野島毒ガス資料館を建設した。日本政府は暗い歴史を隠すために国民休暇村を作ったが、私たちは一人でも多くの人に歴史の真実を知ってもらうために、毒ガス資料館を建設した」と山内さん。この資料館には、当時、日本政府が毒ガスを製造し、使用し、戦後に毒ガスを処理したことに関する詳しい資料が展示されている。

この日、山内さんは大久野島の港近くで、日本の若者約200人を前に毒ガス島の歴史を説明し、さらに明治学院大学の教師や学生と共に大久野島を一周して案内した。「すでに70年以上が過ぎたが、日本人は中国を侵略した戦争の歴史を知る必要がある。その理由は、今でも有毒ガス弾が地下に埋まっており、人に害を及ぼす可能性があるから。また、日本政府はその歴史を正式に認めてはおらず、被害者への謝罪や賠償もしていないからだ。日本政府が1日も早く歴史の事実を認め、謝罪と賠償をすることを願っている。そうしなければ、日本政府が信頼され、尊重されることはない」。山内さんは明治学院大学の教師や学生にこのように説明していた。

▼「侵略戦争の歴史を認めることは恥ずかしいことではない」

過去約30年、山内さんは竹原市と大久野島を1000回以上往復してきた。日本の侵略戦争の歴史を人々に説明するのがその目的だ。「以前は学校の教壇に立って、生徒に日本が中国を侵略した歴史を教えていた。退職後は、その場所を大久野島に変え、日本各地から来た人々に、旧日本軍が毒ガスを製造していた歴史を説明している」と山内さん。

そして、「ほとんどの日本人が、日本に原子爆弾を落とされたことは知っている。しかし、大久野島を見学することで、多くの人が、日本が中国を含む多くのアジア諸国に大きな被害をもたらしたことを知ることになっている。大久野島見学は、多くの日本人が戦争に対する見方を変えるきっかけになっている。日本人は広島に来たら、広島平和記念資料館だけでなく、大久野島も見学すべきだ」と話す。

明治学院大学国際平和研究所の高原孝生所長は同日、大学生約20人を連れて見学に来ていた。ある学生は取材に対して、「侵略戦争の歴史を認めることは恥ずかしいことではない」とし、「このような機会はとても貴重。印象深い見学にするために、たくさんの写真を撮った。私の友達のほとんどは日本が毒ガス弾を製造していた歴史を知らない。友達を連れてまた大久野島見学に来たい」と話した。

高原所長は、「学生たちに日本の侵略戦争の歴史をきちんと知ってもらうことが、私たち教師の責任であり、義務でもある。そうすることで初めて、歴史の悲劇が繰り返されないようにすることができる。ここ10数年、ほぼ毎年、学生を連れて見学に来ている。一人でも多くの人に、この『暗黒の歴史』がある島を見学してほしい」と話した。

▼「日本政府が歴史を正視することを願う」

近年、日本の多くのメディアや学者も、毒ガス製造を含む日本の侵略戦争の歴史に注目している。筆者と共に島を見学した記者の武藤周吉さんは、8月10日付の「東京新聞」の記事で、「広島には『加害』の歴史もあった。国際条約で使用を禁じられた毒ガスは中国で多数の命を奪ったとされ、戦後も遺棄兵器として再び悲劇を引き起こした」と書いた。

2017年8月、TBSは特別企画「綾瀬はるか『戦争』を聞く~地図から消された秘密の島~」を放送。女優の綾瀬はるかさんは、当時少年兵として毒ガスの製造にたずさわった藤本安馬さん(91)の案内の下、毒ガス弾工場跡を訪れ、長期にわたって隠されてきた暗い歴史を紹介した。

日本の歴史研究者・松野誠也さんは最近、中国を侵略した旧日本軍が中国の戦場で毒ガス弾を使ったことを記録した「戦闘詳報」を入手した。松野さんが発見した旧日本軍の中国における毒ガス使用の証拠について、日本の数十社の新聞が一面で報じた。

長期にわたって日本各地で講座を開き、日本の侵略戦争の歴史を説明している明治大学の特任教授・纐纈厚さんは取材に対して、「日本国民の多くが日本政府が歴史を正視し、それを基礎に中国などのアジア諸国と友好関係を築くことを願っている。日本の政治家は、靖国神社を参拝するのではなく、大久野島や侵華日軍第七三一部隊罪証陳列館、侵華日軍南京大虐殺遇難同胞紀念館などに行って、侵略戦争の歴史を理解し、深く反省し、心から謝罪しなければならない。そうして初めて、中国を含むアジア諸国の人々の信頼を勝ち取ることができ、日本に明るい未来が訪れる」との見方を示した。

山内さんは、「前事不忘、後事之師。生きている限り、一人でも多くの人に侵略戦争の歴史を知ってもらえるよう頑張り続ける」と話した。(提供/人民網日本語版・編集KN)

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