<日本で大成功した中国人>どうしたら日本人に認められる?=「日本人の中国料理に対する評価は悲しい」から始まった挑戦

Record China    2017年1月29日(日) 14時50分

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日本では知らない人がいない名店「陳家私菜」の社長である陳であるが、1988年に初来日した時は金もなく、知り合いもなく日本語も分からなかった。

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「いわゆる愛国というのはスローガンではなく、実際に行動することだ。あきらめず、情熱によって数十年一日のごとく海外で中国の食文化を広めてきた」。「陳家私菜」の陳ホウ(ホウ=まだれに龍)湧社長は、東京の赤坂、渋谷、丸の内、新宿、銀座、秋葉原という一等地に7店舗の正統派の中国料理店を持っている。この日本では知らない人がいない名店「陳家私菜」の社長である陳であるが、1988年に初来日した時は金もなく、知り合いもなく日本語も分からなかった。中国を出る時、両親は彼にコメを1袋と「国の外に出たら自分が中国の代表だと思って、一挙一動で中国の顔をつぶさないように」という言葉を贈ってくれただけだった。

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二度もすべてゼロに戻った

陳は手にコメ袋を下げ、両親の言葉を胸に日本の地に降り立った。日本語学校の寮はすでに満員だったため、知り合いもない彼は新宿中央公園で野宿し、のどが渇けば水道水を飲んだ。お腹が空いたら他人が捨てたパンを拾って食べた。この野宿は3カ月間も続いた。彼は工事現場でも、築地の冷凍魚の解体も、新聞配達もいわゆる「3K」の仕事は全部やった。いじめにあったり、差別をされたり、人に騙されたりもした。

アルバイトしながら学校に通い、彼は無事に大学を卒業し、百年の歴史を持つ日本で2番目の総合商社である三井物産に入社した。三井物産は1993年から連続10年間、世界500社の上位10社にランクインしている。現在でも日本の慶応義塾大学などの名門大学の卒業生が必死で就職しようとする企業である。

「人材こそが最大の財産」というのが三井物産の企業理念であり、社員に対する待遇は大変良く、落としても壊れない金の茶碗のような会社だ。しかし、陳は数年間仕事をするなかで、すべてをやすやすとこなしてしまうようになった後、自ら辞表を提出し、三井物産を離れてヒルトンホテルの厨房の下働きとなったのである。彼の人生は再びすべてゼロに戻った。彼を知るすべての人はみな「頭がおかしくなった」と言ったが、陳は「頭がおかしくなったのではない、これは信念だ」と答えた。

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