<日本で大成功した中国人>日中製造業の差は人にある、日本技術と中国市場をつなげられる人間がこれからの王者になる

Record China    2017年1月4日(水) 15時0分

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科学技術が時代を推し進める流れのなかで、非常に重要な仕事に従事する人びとがいる。創造的思考によって、先端技術を手の届かない高みから一般の人びとにも手に取れるところにまで一般化する人たちである。彼らは時代を画する製品の発明者と同じように不可欠である。

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誘惑には確固たる態度で臨む

1988年8月の来日時、16歳の方永義の日本に対する印象は「清潔」の2字であった。初めて日本の会社でアルバイトをした時、方永義は会社の厚い絨毯を見てぼう然としてしまい、靴で踏むことがはばかられた。彼は靴を脱ぎ、はだしで絨毯に乗った。「私もこの国でこんな会社を持つぞ」と、方永義は心に固く誓った。

夢を追う道では、苦労や困難だけではなく、抵抗できないさまざまな誘惑もある。当時日本でアルバイトする留学生は、頑張れば一日で1万円稼げた。これは何を意味するのか。当時の1万円は人民元400元に相当したが、その時代の中国のサラリーマンの月給は200元ほどであったので、とても素晴らしく思えたのだ。言い換えれば、日本で一日アルバイトをすれば中国の一般労働者の2カ月分の給料に相当し、数カ月アルバイトすればみんなにうらやましがられる金持ちになれるのだ。多くの留学生がこの「目の前の利益」に惑わされていき、学業を放り出してアルバイトに励んだ。もっと稼ぐために授業に出ずに不法滞在者になってしまう者すらいた。

こんな誘惑に対し、方永義は踏みとどまった。金のために掃除の技能だけを身に付けて帰国するなんてとんでもない。自分の今後の人生をどうするか、夢はどうするのか。方永義は節約して大学で学ぶことを選び、夢を実現するための貧乏街道を歩き続けた。1998年3月、方永義は修士課程修了後、日本のタイヤ回収企業に入社し、国際業務を学んだ。半年後、方永義はその業務は難しくもなく自分でもできる、自分が腕を揮う時が来たと考えた。

彼はまもなく鄭輝と知り合い意気投合し、10月には株式会社永輝商事を設立した。学校を出たばかりの二人は資金もなく、両親からの援助も期待できなかったが、二人の実家では駆けずり回って1200万円をかき集めてくれた。この金額では日本の会社の場合、一取引しかできない。うまくいかなければすぐに倒産してしまう。子細に検討した結果、永輝商事は古いパソコンの回収に目を付けた。日本の家庭ではパソコンをどんどん買い替えるが、不用になったパソコンは粗大ごみとして処分する費用を払う必要がある。永輝商事ではこれらの不要パソコンを安い価格で買い取り、中国に輸出した。数台、十数台から最後にはコンテナにまで拡大し、永輝商事は初期資金を稼ぎ出し、その後は急速に大きくなった。会社を設立して15年間赤字になったことがないのは奇跡と言ってもよい。現在、永輝商事グループは800名の従業員を擁する多国籍企業へと発展し、太陽光発電、半導体事業、特殊材料製造、IT業、ホテルサービス業、飲食業へと業種も拡大した。永輝商事の成功は、優秀な経営能力は往々にして正確な眼力から生まれ、それには理想を実現するための長年鍛えたビジネス脳が必要であるということを証明している。

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