<コラム>台湾映画『湾生回家』、台湾で生まれ引き上げざるをえなかった日本人の物語

如月隼人    2016年11月9日(水) 21時20分

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日本は1895年から1945年まで、50年間にわたって台湾を統治した。その間、台湾で生まれた「日本人」も多かった。そんな日本人を「湾生」という。字義でも分かるように「台湾で生を受けた人」という意味だ。

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日本は1895年から1945年まで、50年間にわたって台湾を統治した。その間、台湾で生まれた「日本人」も多かった。そんな日本人を「湾生」という。字義でも分かるように「台湾で生を受けた人」という意味だ。

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日本の敗戦にともない、「湾生」は日本に引き揚げさせられることになった。その「湾生」が台湾に「帰省」したときの様子を描いたのが『湾生回家(湾生、家に戻る)』だ。12日に東京の岩波ホールで公開され、その後は日本各地で順次、上映されるという。

同作品を見て、ハッとさせられることも多い。例えば、早い時期に台湾に移った日本人が、農地開拓で、いかに苦労したかが紹介される。

日本人は敗戦に伴い、日本に引き揚げてきた。そのため、日本国内に改めて「先祖代々の墓」を作った人がいる。台湾に最初に渡った人の何人かは、20代で亡くなっている。その後は、長寿を全うした人もいる。早い時期の台湾での生活が、いかに苛酷であったかを象徴するシーンだ。

生まれ故郷の台湾に出向いて、幼馴染を探す「湾生」たち。しかし、多くがすでに亡くなっていた。それでも、かつての自分の家の近所の人たちに尋ねて回る。現地の人も、「当たり前のこと」であるように協力してくれる。

全編を通じて流れる音楽は、日本の唱歌である「ふるさと」だ。同作品は、「民族、あるいは血筋には関係ない。人にとって、自分が生まれ育った場所は、絶対に忘れられないものだ」と訴えている。

ただ、日本と台湾の関係で言えば、「日本は統治した側、台湾は統治された側」ということは、厳然たる事実だ。だから「湾生」についても、政治的背景を切り離して考えることはできない。

それでもこの作品は、政治について触れることは避け、あくまでも「時代に運命を翻弄された『湾生』」を描き切った。

興味深いのは、この作品を手掛けたのが台湾人監督であり、さらに台湾で、ドキュメンタリー映画としては異例の大ヒットをしたことだ。

多くの台湾人が映画館で涙した。ツイッターやブログで、自分がいかに感動したかをつづった台湾人も多い。

『湾生回家』は、日本ではこれまであまり知られていなかった、「日本統治時代に、日本の一部であった台湾で生まれた日本人」のふるさとを思う気持ちをまざまざと伝えてくれる。

同時に、日本人としてこの作品に接すれば、台湾人の日本に対する感情がありありと伝わってくる。(11月9日寄稿)

■筆者プロフィール:如月隼人

日本では数学とその他の科学分野を勉強したが、何を考えたか北京に留学して民族音楽理論を専攻。日本に戻ってからは食べるために編集記者を稼業とするようになり、ついのめりこむ。「中国の空気」を読者の皆様に感じていただきたいとの想いで、「爆発」、「それっ」などのシリーズ記事を執筆。

■筆者プロフィール:如月隼人

1958年生まれ、東京出身。東京大学教養学部基礎科学科卒。日本では数学とその他の科学分野を勉強し、その後は北京に留学して民族音楽理論を専攻。日本に戻ってからは食べるために編集記者を稼業とするようになり、ついのめりこむ。毎日せっせとインターネットで記事を発表する。「中国の空気」を読者の皆様に感じていただきたいとの想いで、「爆発」、「それっ」などのシリーズ記事を執筆。中国については嫌悪でも惑溺でもなく、「言いたいことを言っておくのが自分にとっても相手にとっても結局は得」が信条。硬軟取り混ぜて幅広く情報を発信。

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