<コラム>「歴史は必ず繰り返す」洞察力や先見力を磨こうとすれば、歴史に学べ

工藤 和直    2018年5月18日(金) 23時0分

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山東省膠済鉄道イ坊駅「イ=さんずいに維」から南へ車で40分、山東省イ坊市坊子区黄旗堡街道杞城村に「皇城頂遺跡」「杞国故城遺跡」という石碑が、桑畑の中にぽつんとある。写真は筆者提供。

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小国の杞国であるが、夏王室の末裔であり夏礼を保存していることから儒家にとっては大きな意義があった。孔子も夏礼を学ぶために杞を訪問した記録がある。殷墟より発掘された甲骨文字の中に杞の文字を記したものが発見されており、殷代には杞が存在していた証拠とされるが、杞県(開封市)での考古学上の発見は未だなされていない。新泰において清代道光年間及び光緒年間及び2002年に、周家庄「杞の貴族墓葬群」で杞国の青銅器が発見され、新泰に杞国が存在していたことが証明された。

山東省の大半を領した斉国に、後年杞国公子の一人が鮑の地を与えられ、鮑氏と名を変えた。鮑氏は「斉」国内で徐々に重きをなし、その一族のなかから鮑叔(ほうしゅく)という賢臣が現れ、斉国の隆盛を支えることになる。鮑叔は、利害によって変わることのない親密な交際を表す「管鮑の交わり」の故事で有名である。鮑叔が後見人になり王として推す太子を、かつて鮑叔の友人であった管仲は暗殺しようとした。管仲自らが擁立する太子を、王位継承レースで勝ち抜かせるためである。その難を逃れ、鮑叔の活躍により晴れて彼が守り役であった太子が新王「桓公:紀元前685〜紀元前643」として即位するや、鮑叔は管仲を許したばかりか、命までをも狙われた新王に対し、助命の嘆願のみならず一国の国政を委ねる宰相へと推薦したのである。

管仲(?〜紀元前645)はその後、寛大なる名君「桓公」のもと、名宰相としての評価を不動のものにし、「斉国」を東方の強国に押し上げ、「桓公」を数カ国の諸侯を束ねる覇者として君臨させたと「史記」が伝えている。鮑一族は「夏」王朝に連なる名族ながら、臣下となり仕える身に立場は変わっても歴史の波に埋もれることなく、連綿とさらにその名を高めていった。

「衣食足りて礼節を知る」これは管仲の言葉である。斉の経済政策を進めた名宰相である。彼が言ったことをまとめたのが「管子」である。その中に筆者が一番好きな言葉を最後に述べたい(管子形勢篇)。

「洞察力や先見力を磨こうとすれば、歴史に学べ」ということである。「疑今者察之古、不知来者視之往。万事之生也、異趣而同帰、古今一也:今を疑う者はこれを古に察し、来を知らざる者はこれを往に視る。万事が生ずるや趣を異にして帰を同じくするは、古今一つなり」。歴史を学ぶ者にとってバイブルのような言葉である。「現状を理解できない時は、昔の事から推測するが良い。未来を予測できない時は過去を振り返ってみるが良い。万物は現われ方が異なっていても、その法則性は古今を通じて変わりがない」。

2700年も前に言った言葉であるが、人類が続く限り色あせることはない。現在の世界情勢も必ず過去にヒントがあるのだ。朝鮮半島の南北問題、これも過去の歴史にヒントがあるかもしれない。

■筆者プロフィール:工藤和直

1953年、宮崎市生まれ。韓国で電子技術を教えていたことが認められ、2001年2月、韓国電子産業振興会より電子産業大賞受賞。2004年1月より中国江蘇省蘇州市で蘇州住電装有限公司董事総経理として新会社を立上げ、2008年からは住友電装株式会社執行役員兼務。蘇州日商倶楽部(商工会)会長として、日中友好にも貢献してきた。

■筆者プロフィール:工藤 和直

1953年、宮崎市生まれ。1977年九州大学大学院工学研究科修了。韓国で電子技術を教えていたことが認められ、2001年2月、韓国電子産業振興会より電子産業大賞受賞。2004年1月より中国江蘇省蘇州市で蘇州住電装有限公司董事総経理として新会社を立上げ、2008年からは住友電装株式会社執行役員兼務。2013年には蘇州日商倶楽部(商工会)会長として、蘇州市ある日系2500社、約1万人の邦人と共に、日中友好にも貢献してきた。2015年からは最高顧問として中国関係会社を指導する傍ら、現在も中国関係会社で駐在13年半の経験を生かして活躍中。中国や日本で「チャイナリスク下でのビジネスの進め方」など多方面で講演会を行い、「蘇州たより」「蘇州たより2」などの著作がある。

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