<コラム>映画が映し出す、香港人の中国に対する不安と嫌悪

畝田 宏紀    2017年8月6日(日) 19時20分

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香港映画「十年」を見た。私はかつて2度の香港勤務で合計11年弱住んでいた経験から、この映画を論じて見たい。写真は香港。

私が最初に訪れた1978年はまだ香港の人たちにとり、香港が英国の手を離れて中国になるといったことはほとんど念頭になかっただろう。大方の香港人にとっては政治や行政は英国の統治下にあり、貧富の差や雑然とした社会ではあったが、政治面の制約等を除けば言論や商業活動などの自由度は高く、経済も成長しており比較的落ち着いた時代であったのではないだろうか。

ただそれ以前には1966年から10年の間中国では吹き荒れた「文化大革命」という政治闘争の影響を受け、67年には香港でも中国共産党が支援し、香港の共産党組織による暴動が起きるといった事件もあった。映画「十年」第5の作品の「地元産の卵」で、カーキ色の襟に赤い星、赤い腕章を付けた人民服を着た子どもたちが地元産の卵を売る主人公の雑貨店や古本屋を捜査、取り締まる姿は中国本土で展開された文化大革命期の紅衛兵の反革命分子とされた人たちに向けられた破壊、暴力、家捜し(抄家)を想起させるものであり、古本屋に対する禁書の捜査は民主化運動への弾圧等が投影されていることは間違いなさそうだ。

地元産卵は中国語で「本地蛋」ということから、香港は中国ではないと、脱中国を訴える「本土派」への抑圧の象徴として描かれているのかもしれない。日本では先日の立法会選挙で当選した本土派議員2人が宣誓式で「Hong Kong is not China」と言って、議員資格を剥奪されたことが報じられて有名になったが、ここで言う「本土」とは「香港本土」との意味だ。本地=本土といった言葉は中国や親中派からすると容認し難い警戒の対象となるのだということを連想させ、香港・中国の一体化が進み、中国本土のように政治的な言葉狩りが行われればその対象となるかもということの暗示であろうか。

1度目の香港駐在期間の1986年から93年は香港の激動期であった。1984年に香港の返還を巡り中英協議が行われ、その結果97年7月の香港の中国への復帰が決まると、翌年からスタートした「香港基本法」の制定や返還前に香港に民主を根付かせようとする香港政庁と中国の駆け引きなどに揺れる香港社会には人心の動揺が現れる。87年にはブラック・マンデーで騒然としていたが、その騒ぎが収まるころには基本法の行方を不安視する人や中国に不信を抱く人たちの間で移民の潮流が始まった。

特に1989年6月4日に発生した北京の天安門広場で民主化を求める学生や市民の運動鎮圧のために人民解放軍が銃器や戦車までをも投入し、発砲により多くの人を惨殺した天安門事件は香港人の中国への不信と恐怖の思いに決定的な作用を与えたであろう。香港では80年代後半から90年代の前半は海外移民のピークで、私の勤め先や知り合いにも香港を離れ、海外へと移民する人が後を絶たない状況であった。映画の第4作「焼身自殺者」の独立運動に対する鎮圧はこうした民主化運動やチベットや新疆ウイグル自治区などの民族独立運動に対する強権的な弾圧への恐怖が映し出されていると思われる。

香港返還の翌日の7月2日はタイの通貨バーツ(この時バーツは米ドルにペッグ=固定していた)が急落し、アジア通貨危機の始まりとなった。通貨危機は同じく米ドルにペッグしていた香港ドルも襲ったが、中国の支援などもあり防衛することができた。しかしこれにより香港では不動産価格が下落するなど経済への打撃は免れなかった。このアジア通貨危機に追い打ちをかけるように2003年にはSARS(重症性呼吸器症候群)が猛威をふるい、香港経済は低迷した。また同年7月1日の返還記念日には中国が香港に制定を迫る治安立法「国家安全条例」に反対する50万人デモも起こり、中国は危機感を高めると同時に香港への介入強化を図った。中国は香港の苦境脱出を支援し、香港市民の不満を静めるために香港製品の無関税での対中国輸出を認めたり、中国の一部都市の都市住民への香港への個人旅行を認めたりした。

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