推理ものが多いのはなぜ?日本のドラマに見る日本文化―中国メディア

Record China    2014年11月1日(土) 17時24分

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29日、日本のドラマは、推理小説を原作とした作品が非常に多く、作家・東野圭吾の作品をドラマ化した「ガリレオ」や「放課後」などを筆頭に、「謎解きはディナーのあとで」、「SPEC」などが人気となっている。資料写真。

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2014年10月29日、日本のドラマは、推理小説を原作とした作品が非常に多く、作家・東野圭吾の作品をドラマ化した「ガリレオ」や「放課後」などを筆頭に、「謎解きはディナーのあとで」、「SPEC」などが人気となっている。そのことから、日本では推理小説が流行していることがうかがえる。中国日報網が伝えた。

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日本では、流行している推理小説が文学界において一定の地位を築いている。長年ヒット作を連発している東野圭吾などを筆頭に、伊坂幸太郎や湊かなえ、西尾維新、東川篤哉などの作家が、毎年のように話題作を提供している。

▼大きな需要

「推理小説」というジャンルは、読者の側にも一定の能力が求められる。良い教育を受け、経済面や時間の面で余裕のある人でなければ、それを楽しむことができない。「推理小説」の起源は19世紀末の大英帝国と言われており、100年以上の歴史を誇る。20世紀初期から第二次世界大戦後は、英国米国の作家が推理小説の黄金時代を築いた。そして、1960年代ごろから、日本の推理小説が、世界の推理小説において、一定の地位を占めるようになった。これらの国は、いずれも当時世界経済を牽引し、中産階級が大きな存在となっていたという特徴がある。そして、利益ではなく、楽しむことを目的とした図書の市場が構築された。

明治維新を境に、日本は西洋文化を積極的に取り入れ、多くの文学刊行物が発行されるようになり、作家達が雑誌で連載を掲載するようになった。これらの雑誌のうち、特に「推理」を専門とした雑誌が、日本の100年近い推理小説史の中で、重要な役割を担ってきた。例えば、見る目のある編集者がポテンシャルの高い新人の作家を発掘し、賞などを設置して創作をサポートしてきた。今では、「新青年(1920-50年)」の時代、「宝石(1946-64年)」の時代など、推理小説の発展史が雑誌ごとに区切られることもある。日本には、推理小説をめぐる、さまざまな賞も設置され、人気作家はその受賞者であることがほとんどだ。

▼整った出版システムが作者の創作意欲をかき立てる

1950-60年代、欧米における古典的推理小説が衰退期に入り、現実や人間味を重視する推理小説が増加、ハードボイルドが流行した。日本では、1957年から作家・松本清張が「点と線」の連載を始めるなど、新しい作家が新たな道を切り開いた。松本清張は、社会派推理小説ブームを巻き起こし、社会の不正矛盾を鋭く描くその作風が一世を風靡した。松本清張を発掘した、文芸雑誌「三田文学」の編集委員だった推理作家・木々高太郎は、1945年に「新月」で第1回探偵作家クラブ賞短篇賞を受賞した。この頃から、日本では推理小説の人気に再び火が付いた。

2011年、「謎解きはディナーのあとで」(東川篤哉著)が約140万部のセールスを記録して大ベストセラーとなり、同作品はすぐにドラマ化された。日本では、出版システムが整っているため、人気作家も多くの利益を手にすることができ、新作の製作意欲を維持できる。島田荘司や東野圭吾などは、1980年代から今に至るまで、ヒット作を連発させている。次に、新人を発掘するルートがあるため、同業界の「新陳代謝」を維持することができる。実力ある作家が数多く、その中から台頭してヒット作を生み出す作家が絶えずいる。(提供/人民網日本語版・翻訳/KN・編集/kojima)

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