【観察眼】村山富市氏はなぜ中国の人々の尊敬を得られたのか

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10月17日、日本の元首相・村山富市氏が101歳で逝去した。

10月17日、日本の元首相・村山富市氏が101歳で逝去した。中国の習近平国家主席は19日、当時の日本の石破茂首相に弔電を送り、村山氏の逝去に哀悼の意を表すとともに、「村山氏は、正義感に富んだ政治家であり、中国人民の古い友人でもある」と述べ、長年にわたって中日友好に尽力した功績をたたえた。中国外交部の報道官も定例記者会見で深い哀悼の意を表し、多くの中国人民がこの「歴史と真摯に向き合った日本の政治家」を偲び、SNS上でバーチャルキャンドルを灯し、「村山さんのご冥福をお祈りします」「中日両国が末永く友好を保ちますように」などと書き込んだ。

国家指導者から一般市民まで、この国境を越えた追悼の広がりは、中国の人々の寛大な心と理性的な感情を示すものとなった。日本の一部の政治家が依然として歴史修正の動きを見せるなかで、中国の人々は理性的に、過去と誠実に向き合い、平和を推し進めようとする日本人へ友情の手を差し伸べている。

1995年8月15日、日本の無条件降伏50年を迎えたこの日、当時の村山富市首相が発表した「村山談話」は、日本の戦後史における画期的な文書であった。「植民地支配」「侵略」といった明確な言葉を用い、首相として初めて国家を代表してアジア諸国に対して深い反省と謝罪を表明したこの談話は、歴史の闇を切り裂く光明となり、日本とアジア諸国との関係修復に新たな希望をもたらした。

村山氏は在任中から一貫して歴史問題に誠実に向き合った。1995年5月には、現職の日本の首相として初めて盧溝橋と中国人民抗日戦争記念館を訪問。2006年6月の訪中では、九・一八歴史博物館を見学し、「歴史を鑑に、日中友好の未来を拓く」との言葉を残した。こうした行動の積み重ねが、中国の人々の心を深く動かし、両国関係の健全な発展を後押ししたことは間違いない。

皮肉にも、村山氏の訃報が伝えられた同じ日に、靖国神社では秋季例大祭が行われた。一部の日本政治家は、村山氏の死を悼み、村山談話の精神を継承するという姿勢を表明しながら、一方でA級戦犯を合祀する靖国神社に供物を奉納し、玉串料を納めた。このような二枚舌とも言える行為は、日本政治が抱える歴史認識に潜む矛盾と偽善を露わにした。靖国問題は決して内政や宗教儀式の問題などではない。戦犯を礼賛する行為であり、歴史に対する冒涜、人類の良識に対する裏切りである。それは、「村山談話」の理念そのものを踏みにじる行為にほかならない。

「村山談話の精神を継承する」とは、単に言葉で唱えることではない。歴史真摯に向き合う勇気と実践が問われる。日本の政治家の靖国問題におけるネガティブな態度を改め、村山談話を教育、文化、外交の具体的な政策に生かした時こそ、アジア諸国の信頼を取り戻すことができるだろう。国際社会もまた、特に戦争の苦痛を受けた国々は、この得がたい共通認識を共に守り、歴史を鑑とし、歴史を歪めるあらゆる言動に断固として反対しなければならない。そうしてこそ、村山氏が追い求めた平和のビジョンが、一つの孤灯から未来を照らす光へと昇華するのである。

今年は、中国人民抗日戦争・世界反ファシズム戦争勝利80周年、そして村山談話発表30年の節目にあたる。村山富市という「灯台」の灯りは消えたが、彼が照らした歴史を直視し、平和を尊ぶ道は、人類の文明が歩むべき普遍の道である。

日本の政界が再び歴史認識の迷路に迷い込むとき、村山氏の精神的遺産はますます貴重なものとなる。それは、誰が平和を守り、誰が歴史を冒涜しているのかを映し出す、永遠の鏡である。戦犯を祀る場で政治的な支持を求める政治家たちは、忘れてはならない。真の政治的遺産とは、過去を取り繕うことではなく、次の世代のために平和を守ることこそにある。(提供/CRI

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