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8日、台湾メディアの聯合新聞網は、劇場版「鬼滅の刃」 無限城編 第一章 猗窩座再来は、善悪の複雑な矛盾を深く描いた作品だとする記事を掲載した。写真は鬼滅の刃。
2025年9月8日、台湾メディアの聯合新聞網は、劇場版「鬼滅の刃」 無限城編 第一章 猗窩座再来が、善悪の複雑な矛盾を深く描いた作品だとする記事を掲載した。
記事はまず、「劇場版『鬼滅の刃』 無限城編 第一章 猗窩座再来の成功は、技術面の熟練さに加え、キャラクター設定の精密さが長期的な人気を生む鍵となった点にある。特に敵役の猗窩座(あかざ)の設定において、その個性と人生の多面性が短時間で見事に描かれたことで、興行収入と評価の双方において成功を収めた。これは近年、敵役の単純化が興行収入の低迷を招く一因であることをも示している」と論じた。
その上で、「同作の興味深い点は、筆者のように久しく『鬼滅の刃』に触れていなかった観客でもすぐに物語に入り込めることである。主な理由は、鬼舞辻無惨(きぶつじむざん)が支配する異空間『無限城』の特撮効果がほぼ完璧であり、ハリウッドの特殊効果アーティストであるマチュー・ソヴァージュ氏を起用したことで、優れた3DCG表現による戦闘シーンが観客に大きな娯楽体験を提供した点にある」と評した。
また、「同作は主要キャラクターの登場に加え、回想シーンが多用されている。これが『無限城』の無限性と呼応し、鬼の世界が単なる陰鬱な空間ではなく、人間の心の暗部を映す『心の無限城』として描かれた。登場人物たちがなぜ心を闇に染めてしまうのか、人間と鬼の境界が曖昧になる過程が丁寧に示されているのである」と言及。「特に同作の主要キャラクターである猗窩座の心理描写は、人間が自ら闇を創り出す存在であることを示した。こうした敵役の細やかな描写によって『鬼滅の刃』における勝利や敗北は単なる表面的な思索ではなく、人間の世の中に漂う悲哀や哀れみの視点も同時に浮かび上がらせている。日本のアニメが長く愛され続けるのは、このような人間の心理描写が非常に優れており、善と悪といった単純な二元論にとどまらないからだろう」とした。
さらに、「猗窩座が自分の内面の闇に縛られた状態で生きているのに対し、主人公・竈門炭治郎(かまどたんじろう)は彼との戦いの中で剣術の極意を悟る。それはまるで名作漫画『バガボンド』における宮本武蔵(みやもとむさし)の奥義のようで、自我を空にして風の流れに身を任せ、身体の記憶によって剣と一体化する状態に近い」と分析。「その結果、炭治郎の『善』は単なる正義ではなく、身体の感覚と自然の流れを融合させて生まれる深い理解や調和であり、力に執着する猗窩座との対比によって、東洋的な善悪観の深みと独自性が鮮明に描かれている。それゆえ同作は、商業映画として浅く見ても深く見ても、それぞれに味わいを持つ作品となっているのである」と論じた。
そして、「作中では、鬼殺隊の壮烈な犠牲と『無限城』に立ちはだかる巨大な敵勢力との戦いが描かれ、かつてのマーベル作品のような群像劇を思わせるが、同時に日本的な美意識も取り入れられ、戦闘シーンの描写には散る桜のような美しさが宿る。また、生命の矛盾や哀感も描き出されたことで、劇場版『鬼滅の刃』 無限城編 第一章 猗窩座再来は新たな傑作として完成したのだ」と結んだ。(翻訳・編集/岩田)
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