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中国では、秦始皇帝陵博物院内にある一般来場者も見学可能な兵馬俑1号坑に直径1メートルほどの穴が開いている(写真)と指摘するネット投稿があり、「古代の盗掘跡では?」などと注目を集めた。
中国では秦始皇帝陵博物院内にある、一般来場者も見学可能な兵馬俑1号坑に直径1メートルほどの穴が開いていると指摘するネット投稿があり、「古代の盗掘跡では?」などと評判になった。中国メディアの大象新聞などが報じた。
大きな穴があると指摘されたのは、4列縦隊状態の兵俑の列と列の間にある幅90センチほどの土壁の部分だ。兵馬俑を作成するためには、それぞれの像を置くための細長い溝を何条も堀り、溝と溝の間は土壁として残し、兵俑や馬俑を安置してから、土壁と土壁の上に板を張って、さらにその上を土で覆ったと考えられている。なお「兵馬俑」とは兵士の像や馬の像の総称で、兵士の像の場合には兵俑、馬の像の場合には馬俑と呼ぶ。
ネットなどで注目されるようになった土壁に大きな穴が開いている部分は、2009年から22年にかけての第3次発掘調査の際に見つかったという。専門家によると、この大きな穴は、兵馬俑が作られた後世になってから作られた墓で、夫婦を合葬した墓室という。兵馬俑1号坑の管理スタッフは「もし、その一家が墓を掘った時に、とちらの方向であれ、もう少し掘っていたら、秦始皇陵を発見した最初の人になっていたでしょうね」と説明した。
兵馬俑の発掘調査では、同様の墓穴が70以上も見つかっており、早い時期のものは前漢(紀元前206-紀元8年)後期、新しいものでは中華民国(1912-1949年)初期のものもある。ネットで評判になった大きな穴は、近代になって掘られたものという。
兵馬俑が発見されたきっかけは、1974年に現地住民が井戸を掘った際に、陶器の破片が出てきたことだった。その後、考古学者が1年以上にわたって調査した結果、大量の兵馬俑が埋まっていることが分かり、遺跡は兵馬俑1号坑と命名された。
兵馬俑が発見される前、現地は農業に適さない荒れ地だったので、地元住民は墓地として使っていた。現地は、墓地としても2000年ほどの歴史を持つ土地ということになる。
ここで知りたくなることは、兵馬俑は実際に盗掘されなかったかどうかだ。兵馬俑の遺跡では、兵俑や馬俑が安置された場所を俑坑、地上から俑坑に至るまでの通路を俑道と呼ぶ。始皇帝陵博物院の申茂盛研究員は、最近の発掘で、俑道が掘り開けられていたことが確認されたと説明した。つまり、俑道を掘り返すことで、俑坑に侵入した者がいると推測できるという。
考古学者は、俑道を利用して俑坑に入り破壊できた人は、俑道や俑坑の位置や構造を知る、建設に関与したと考えている。始皇帝の墓関連を破壊した人物として、まず思い浮かぶのは項羽だ。項羽は秦軍を撃破してこの地に入り破壊の限りを尽くしたと漢代に書かれた史記も記述している。項羽に降伏した秦兵の中に兵馬俑づくりに関係した者がいて、項羽の命令で破壊に及んだとすれば、破壊は比較的容易だったと考えられる。(翻訳・編集/如月隼人)
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