平和を願う「紫金草」の歌声、歴史を銘記し未来を切り開く

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紫金草合唱団は歌声で歴史を語ってきた。写真は平和音楽の木に「平和の花 紫金草」のQRコードを取り付ける大門高子氏(右)と南京紫金草童声合唱団の団員(写真提供:侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館)。

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「花が咲いている 紫の野の花よ 風にゆれる やさしい花よ 海を越えた平和の種 想いをよせて花が咲いたよ」

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石川県の金沢市中央公民館2階のリハーサル室で、紫金草合唱団の団員が指揮者の指揮に合わせて静かに歌っている。その傍らには毛筆で「不忘歴史 面向未来(歴史を忘れず未来へ向かう)」と書かれた大きな紙が置かれており、ひときわ目を引いていた。

1998年に日本で結成された紫金草合唱団は、歌声で歴史を語り、平和を愛し戦争に反対する正義の人々を団結させ、共に未来を守り続けてきた。

侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館の紫金草花園で紫金草国際ボランティアと共に紫金草の種をまく大門高子氏(左から3人目)。写真提供:侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館

一輪の紫の花が国境を越えた平和の使者に

8月は紫金草の種まきの季節である。

紫金草というのは、中国語で「二月蘭」と呼ばれる花で、和名はムラサキハナナ(またはオオアラセイトウ)。かつて中国侵略日本軍の戦火の中でも咲き続け、今では日本各地へと広まったこの花は、「平和の花」と呼ばれている。紫金草合唱団の名はこの花から取られた。

1939年春、中国侵略日本軍衛生材料廠の山口誠太郎廠長は南京を訪れた。当時、南京大虐殺の陰はなお消えず、街全体に破壊の跡が見られ、紫金山の満開の二月蘭だけが廃墟の中で生まれる希望を告げていた。この光景は山口氏の胸に刺すような深い痛みを残した。中国侵略戦争への反省とざんげを込め、二月蘭の種を日本に持ち帰り、「紫金草」と名付けて自宅の庭に植えただけでなく、日本各地の学校や公園、コミュニティーへ贈った。さらに家族と共に列車に乗り、種を練り込んだ泥の塊を窓から撒き、日本中に紫金草を広めた。

山口氏は日本各地で講演を重ね、歴史を銘記して平和を大切にするよう日本国民に呼びかけた。1966年に亡くなる前、「紫金草1株1株の背後には無辜の中国人犠牲者の魂がある。この花を見る日本人一人一人に歴史を銘記させる必要がある。侵略戦争の悲劇を決して繰り返してはならない」との遺言を残した。息子の裕氏はその使命を継ぎ、1985年の国際科学技術博覧会だけでも、ボランティアと共に「平和祈願」と書かれた紫金草の種約100万袋を各国からの来場者に配った。

東京都北区在住の児童文学作家・大門高子氏を訪ねると、大門氏は胸に紫金草のバッジをつけ、「むらさき 花だいこん」を朗読してくれた。1990年代に紫金草の種をまく山口家についての報道を読んだ大門氏は、紫金草が南京で咲いていた花であることを知り、その物語を人々に語りたいと強く願うようになった。大門氏は山口家をわざわざ訪れ、紫金草の物語を詳しく知り、山口氏の物語を基に絵本「むらさき 花だいこん」を創作し、出版した。さらに、作曲家の大西進氏と共に合唱と朗読で構成された全12章、1時間近くの組曲「紫金草物語」を創作し、中国侵略戦争への深いざんげと平和維持への強い願いを表現した。

1998年、大門氏が音頭を取り、東京紫金草合唱団、関西紫金草合唱団(大阪)、金沢紫金草合唱団(石川県)、みやぎ紫金草合唱団(宮城県)など各地で市民合唱団が結成された。現在、合唱団の団員は約150人おり、「花が好き、歌が好き、平和が好き、そして人間が好き」を合言葉としている。大門氏によると、紫金草合唱団は結成以来、日本各地で数百回、中国と米国でも計13回公演を行い、歌声で南京大虐殺の犯罪行為を告発し、平和の維持を訴えてきた。

一つの組曲が真実の歴史の記憶を伝える

「花は見ていた戦争の悲しさ 風と歌う レクイエム……」

組曲「紫金草物語」は、中国侵略日本兵が雨の紫金山で南京の少女と出会う物語を描いている。その大筋は「がれきの中で母を探す少女は日本兵を目の前にして驚き怯えるが、兵士に悪意がないことに気づき、一輪の紫金草を差し出す。日本兵はにわかに自分の過ちを悟り、それ以来、断固として戦争に反対し、平和を訴え続ける」というものだ。

紫金草合唱団の団員はほとんどが高齢者だが、歌の中の紫金草のような輝きを放ち続けている。たとえ病気を患っていたり、車椅子の身であったりしても、歌声で正義の声を上げ続けている。現団長の中村昭一氏は元高校音楽教師。「日本の侵略戦争は完全な誤りだ。ましてや他国を軍靴で踏み荒らすことは、とんでもないことだ。深い反省が必要だと思う。事実をしっかり見つめて、正しい物の見方を子供たちに伝えたいと思っていた」という中村氏は、「紫金草物語」との出会いを振り返り、「メロディーもとても美しいし、とても素敵な曲なので、特別な曲になると当時から思っていた。案の定、これが私のライフワークになった」と語る。

3月27日に南京市建鄴区少年宮劇場で開催された合唱コンサート「歴史を銘記し、平和を大切にする」で歌う紫金草合唱団(写真提供:侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館)

「歴史をきちんと自分のものにして学んで、そして反省をして、謝罪をして、そして手を取り合って未来を築いていけると私は固く信じておりますので、『不忘歴史 面向未来』という言葉は紫金草合唱団のテーマとして大事にしております」。団員の大森和子氏は、紙に大きく書かれた「不忘歴史 面向未来」という文字を指してこう語った。この8文字は、合唱団の公演のたびに目立つ位置に掲げられている。

元団長の藤後博巳氏(95)は中国侵略戦争中に招集されて中国へ渡った。日本敗戦時に15歳だった藤後氏は路頭に迷い、どう生きていけばいいのか途方に暮れていた。そんな時、ハルビンの道外区で中華料理店食堂の店主が救いの手を差し伸べてくれた。藤後氏は「あの時、助けてもらわなかったら、私は死んでいただろう。今思い出しただけでも、涙が出そうになる」と当時を振り返り、中国人の寛大さに救われたと語る。その後、藤後氏は東北民主連軍に加わり、解放戦争にも参加。1955年の帰国後は日本共産党に加わり、反戦運動に尽力した。「戦争を繰り返しては絶対にならないと、私は常に堅く信じている」。藤後氏は「日本国憲法第9条には、武力を捨てると明記している。それを守っていくことが、私の務めだ」と語る。

団員の波多野晶子氏は日本の中国侵略戦争による残留孤児だ。1942年にハルビンで生まれ、日本の敗戦・降伏時にわずか3歳で両親に捨てられたが、後に中国人に育てられ、中国で44年間暮らした後、日本に帰国した。波多野氏は「敗戦時、数多くの日本の子供が中国で捨てられた。かつての戦争被害者である普通の中国の人々が、恨み言一つ言わずに日本人孤児を大人になるまで大事に育ててくれた。養母は私に実の子のように接し、善良で寛容な人間性を行動で示してくれた」と語る。

波多野氏は2014年の中国帰国者合唱団の公演を見た大門氏に招かれ、紫金草合唱団に参加した。波多野氏は深紫色の服を着て、「紫金草物語」の楽譜にそっと触れながら、「歌声を通じて、『私たちは戦争を起こしてはいけない、平和を願ってやまない』というメッセージを世界に伝えたい」と語った。

一度の公演が心の溝を取り除く

「南京は日本人が向き合うことを最も恐れる場所だが、それでも行かなければならない」。大門氏は南京での公演当時の心情をこう振り返った。2001年、南京市人民対外友好協会など各方面の努力により、紫金草合唱団は初めて南京で公演を行い、日本国民の戦争への反省と平和への祈りを届けた。団員の中には、父親がかつて中国侵略戦争に参加した人もおり、公演前には申し合わせたように父親の遺影を胸ポケットに忍ばせ、「お父さん、私は南京に来ました。あなたたちに代わって歌声で謝罪します」と小さくつぶやいたという。

「あの公演の前は、中国の観客が私たちにどのような態度を取るのか分からず、とても不安だった」。大門氏は「南京の観客は合唱団の歌声を非常に真剣に聴き、演奏が終わると長い間、鳴りやまぬ拍手を送ってくれた。涙を流す人も少なからずおり、平和のために私たちと共に努力したいと語ってくれた。これは私にとって、とても感動的だった。真摯な歌声は、人々の心の溝と裂け目を取り除いた」と振り返った。


侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館の紫金草花園には、「不忘歴史 面向未来 和平的誓言 紫金草」(歴史を忘れず 未来へ向かう 平和の誓い 紫金草)と刻まれた石碑がある。初めて南京で公演した際、紫金草合唱団の団員らはここに紫金草の種をまいた。今ではそこに花畑が広がっている。多くの南京の若者が「紫金草ボランティアグループ」を結成し、自発的に手入れに参加して、この花畑を長く咲かせ続けている。

大門高子氏の夫であり、同じく紫金草合唱団の一員である大門康睦氏は、「日本軍国主義の発動した侵略戦争は中国の人々に甚大な惨禍をもたらした。私たちは中国の人々に誠実な謝罪の意を表すべきだ」と語る。紫金草合唱団は日本軍による南京大虐殺の犯罪行為を告発しているため、日本国内では資金援助を受けることが難しく、公演のたびに団員が経費を自費で負担している。団員の波多野氏は「多くの団員はサラリーマンで、南京公演にかかる費用は数カ月分の生活費に相当する。それでも私たちはこれを意義あることと考え、皆お金を貯めて公演に行きたいと思っている」と語る。

侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館の見学から、中国人民抗日戦争紀念館への献花、南京理工大学大学生芸術団との合唱、小学3年生から5年生で構成される南京紫金草児童合唱団との共演に至るまで、20年以上にわたって紫金草合唱団が行ってきた公演は、その一つ一つが深い記憶となり、その歌声の一つ一つが歴史への問いかけと銘記となってきた。

今年3月、紫金草合唱団は再び南京で公演を行い、平均年齢75歳を超える約70人の団員が、50分近くにわたって立ったまま曲を歌い切った。最後の音符が響き終わると、白髪の団員らは中国の子供らと舞台上でしっかりと抱き合い、多くの観客が涙を流した。「私は今年すでに80歳だが、歌えるうちは歌い続ける」と大門高子氏は語る。

一粒の種が侵略戦争を反省するよう警鐘を鳴らす

侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館の紫金草花園は、山口裕氏ら日本人によって2007年に寄贈されたものだ。紫金草花園の中には「紫金花の少女」の銅像が静かにたたずんでいる。銅像は、中国人民抗日戦争期で、花に囲まれた石の上に立つ7~8歳の少女の姿をしている。少女は大きく目を見開き、無言のままその悲痛な歴史を訴えている。2009年の銅像除幕式で、山口氏は「紫金草に込められた精神は極めて貴重であり、日本国民に侵略の歴史を忘れないよう常に警鐘を鳴らしている」と述べた。


紫金草合唱団事務局長の山野下とよ子は元小学校教員で、長年にわたり児童に戦争の悲惨さを教えてきた。山野下氏は「日本では『日本が被害を受けた』ことだけ教え、日本人が犯した加害のことはほとんど教えられていなかった。『紫金草物語』は加害について教えるには本当にいい話でもあるし、中国でも南京の人たちに聴いていただいて、南京の人たちと友好をすごく深めてこられた」と語る。

「日本の歴史教科書は侵略の歴史を意図的に矮小化・否認、さらには改竄し続けてきた。少なからぬ日本のメディアも、日本の中国侵略戦争について客観的かつ真実の報道をしていない。私は皆にこの歴史を忘れないでほしい。私たちの歌を通して、両国民の平和と友好への願いを表現したい」と語るのは、紫金草合唱団の団員であり、今年88歳になる姫田光義氏だ。日本の中央大学名誉教授で「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」会長でもある姫田氏は、日本による中国侵略の歴史から目を背けずに向き合ってきた。

「1931年の九一八事変(満州事変)、1937年の南京大虐殺のことを日本のマスメディアは一切言わない。南京大虐殺だけでも、日本軍は30万人の中国人を殺害した」。姫田氏は厳しい面持ちで語り、深々と頭を下げて、日本人は中国の人々に謝罪しなければならないとの思いを語った。

姫田氏の説明によれば、日本の敗戦後、約1000人の戦犯が中国の撫順戦犯管理所に送られ、改造教育を受けた。中国の職員は真心を込めて日本人戦犯を教育し、「千秋萬歳、望後世之思(長く後世に伝えんことを望む)」と諭した。釈放され帰国した後、一部の人は「中国帰還者連絡会」を結成して、反戦と日中友好の事業に身を投じた。2002年、「中国帰還者連絡会」は会員の高齢化により解散したが、日本の各界の有識者が同年「撫順の奇蹟を受け継ぐ会」を設立した。

数年後、撫順戦犯管理所を題材にした合唱組曲「再生の大地」が制作され、「再生の大地」合唱団の公演が各地で行われた。姫田氏は「歌声は人々の共鳴を呼び、合唱団には幅広い世代の日本人が参加できる。私たちは歌声を通じて、『人』を『鬼』に変えるような残酷な戦争を再び起こしてはならない、日本を再び隣国を傷つける国にしてはならない、世代を超えて平和と安寧への祈りを伝えていかねばならないと訴えていきたい」との意を示した。

「過去のあやまち 忘れぬように祈りをこめて花を捧げよう フォピンディホア ツーチンツアオ……」6月25日午前、在日本中国大使館で中国人民抗日戦争ならびに世界反ファシズム戦争勝利80周年記念レセプション「歴史を銘記し、平和を守る」が開催され、空席がないほどの盛況となった。このレセプションには紫金草合唱団の団員も日本各地から駆けつけ、深い思いを込めて組曲「紫金草物語」第12章「平和の花 紫金草」を歌い上げた。

レセプション会場の入口では、紫金草合唱団の用意した資料がスタッフから来場者に配られた。資料と共に紫金草の種も手渡された。資料には、「日本国は敗戦80年の節目をむかえたことから、あらためて、二度と侵略戦争はしない誓いをあらたにしています。その誓いの実践として紫金草物語を歌ってゆく覚悟です」と記されていた。

2003年に侵華日軍南京大屠殺遭難同胞紀念館で公演する紫金草合唱団(写真提供:大門康睦氏)

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