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高さ0.6メートルの「中国で最も低い山」静山が話題を呼んでいる。
高さ0.6メートルの「中国で最も低い山」静山が話題を呼んでいる。果たしてこれは山なのか石なのか。山とは高さで決まるのか、それとも人々の心が決めるのか。
山東省寿光市にある静山が注目を集めている。高さはわずか0.6メートル、長さ1.24メートル、幅0.7メートルで、一歩で越えられるほど小さいが、地元では古くから山と呼ばれ、1935年の「寿光県志」にも記録が残るという。
学術的に見れば、静山は山とは呼べない。ネット上で「これは山ではなく石ではないか」と議論が起きるのも無理はない。しかし、寿光には山が少なく、地元の人々にとって象徴的な存在だ。文化的な愛着と科学的な厳密さの間に横たわる溝が今回の論争の背景にある。
世界には極端な山々が存在する。最高峰はエベレスト(チョモランマ、8848メートル)で、中国とネパールの国境にそびえる。一方、世界で最も低い山や丘とされる地域は海抜マイナス400メートル程度の場所もある。
静山の高さ0.6メートルはこれらと比べれば高い位置に存在することになるが、外見はどう見ても岩石だ。「山」と認定できるかといえば周囲との標高差にも目を配らねばなるまい。
上海の佘山は海抜約100メートルで「上海の屋根」と呼ばれる存在だ。東京の高尾山(約599メートル)の6分の1の高さにすぎない。さらに浦東新区の万博記念公園に築かれた人工山「双子山」は約50メートルで、佘山の半分程度だ。
学術的には相対高度150メートル以上が山とされることが多い。しかし自然の山も人工の山も、地域における象徴性によって山として親しまれる場合がある。日本の天保山(標高4.53メートル)も公式に山と登録され、登山証明書の発行や観光地化が行われている。高さだけでなく、象徴性や文化的価値も山の定義に影響を与えることが分かる。
ならば天保山と低さを競うライバルが現れるのも不思議ではない。文化的な観点からすれば、寿光の人々にとって静山は大切な「唯一の山」であるとされる。山の定義は単なる数値だけでは語れない。
学術的な基準に当てはまらなくても、地域の誇りとして存在し続けるなら、静山が山と呼ばれることに目くじらを立てる必要はないだろう。ちょうど日本各地に「冨士」を冠した地域を象徴する山があるように、たとえ丘や露岩と見紛う存在であったとしても、静山は山の多様性を体現する存在であり続ける。(提供/邦人NAVI-WeChat公式アカウント・編集/耕雲)
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