終戦80年、日中の「記念日」が異なるのはなぜか―独メディア

Record China    
facebook X mail url copy

拡大

14日、独国際放送局ドイチェ・ヴェレの中国語版サイトは、日本と中国で「終戦記念日」が異なる理由について紹介する記事を掲載した。

2025年8月14日、独国際放送局ドイチェ・ヴェレの中国語版サイトは、日本と中国で「終戦記念日」が異なる理由について紹介する記事を掲載した。

記事は、日本では毎年8月15日が終戦記念日とされ荘厳な記念式典が行われるのに対し、中国では日本が降伏文書に調印した翌日に当たる9月3日が戦勝記念日と定められていると紹介した。

そして、日本の終戦記念日である8月15日について、1945年に昭和天皇が「終戦の詔書」をラジオで発表した日であると説明。広島と長崎に原子爆弾を投下された日本は、同8月14日に米国やその同盟国に対して降伏する意思を示し、同日のうちに昭和天皇の肉声による「終戦の詔書」を録音したと解説した。また、「終戦の詔書」は古典的な文体であったこと、ラジオの音質が悪かったことから一般市民はほとんど理解できなかったものの、「現人神(あらひとがみ)」であった天皇が初めて自らの声を発したこと自体に大きな意味があるという歴史学者の見解を紹介している。

その上で、今年も8月15日に東京で記念式典が行われ、今上天皇と首相が講話を行う様子がテレビ中継される予定だと紹介するとともに、昨年の8月15日には閣僚3人が靖国神社を参拝して中韓両国から批判を浴びたと伝えた。

記事は一方で、中国が「戦勝記念日」の基準としている9月2日の降伏文書署名について解説。45年9月2日に東京湾に停泊していた米戦艦ミズーリ上で調印式が行われ、重光葵外相と梅津美治郎陸軍参謀総長が天皇の名代で降伏文章に署名したこと、降伏文書には日本によるあらゆる軍事行為の停止や捕虜などの解放、連合国軍による日本占領などが盛り込まれ、日本は52年4月にサンフランシスコ講和条約が発行するまでの約7年にわたり連合国軍の占領下に入ることになったとした。

そして、2010年代前半に激化した日中間の歴史問題や領土問題を受けて、中国共産党は2014年に降伏文書調印翌日の9月3日を「中国人民抗日戦争勝利記念日」と正式に定め、国家主席が出席する盛大な記念イベントを実施するようになったと説明。10年前の終戦70周年時には盛大な軍事パレードを行っており、終戦80周年に当たる今年も9月3日の戦勝記念日に大規模な軍事パレードを実施する準備を進めていると伝えた。(編集・翻訳/川尻

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

noteに華流エンタメ情報を配信中!詳しくはこちら


   

we`re

RecordChina

お問い合わせ

Record China・記事へのご意見・お問い合わせはこちら

お問い合わせ

業務提携

Record Chinaへの業務提携に関するお問い合わせはこちら

業務提携