捕虜から八路軍兵士へ、抗日戦争と新中国建設への参加は「生涯の幸福」

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抗日戦争期間中、陝西省延安には「日本工農学校」という特殊な学校があり、人類戦争史上で唯一無二の捕虜学校でした。

抗日戦争期間中、陝西省延安には「日本工農学校」という特殊な学校があり、人類戦争史上で唯一無二の捕虜学校でした。軍国主義の思想に深く毒された数千人の旧日本軍捕虜がここで教育を受け、改心しました。再び前線に戻った時は、戦争を起こした侵略者から八路軍の戦士に変わった人も現れ、小林清さんはその一人でした。

小林さんは1938年に大阪で徴兵され、1年後に中国の戦場へ派兵されました。1940年に八路軍に捕虜され、「日本工農学校」に入りました。八路軍は小林さんを敵や捕虜として扱わず、同志、兄弟として扱い、捕虜の人々に自分が他の人と同じように平等に扱われていることを感じさせました。小林さんは1941年秋、自ら八路軍への入隊を申請し、中国の軍民と共に、日本の侵略者に勇敢に抵抗しました。抗日戦争に勝利した後、小林さんは引き続き中国に残ることを選択し、1994年に亡くなるまで天津で暮らしていました。

小林さんの長男、陽吉さんは、在りし日の父親を回想して、「父は中国の抗日戦争と中国の解放戦争、その後の新中国の社会主義建設に参加することができて、一生は幸運に恵まれ幸福だったと言ったことがある」と話しました。

陽吉さんは長年にわたり中日民間交流を積極的に促進し、日本政府に侵略の歴史を反省するよう呼びかけています。「一つの民族、一つの国家は自己反省することができてこそ、世界中の国と民族の尊敬を得ることができる」と述べています。(提供/CRI

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