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中国のSNS・小紅書(RED)に6日、「日本から戻ってきたら泣きたくなった」との投稿があり、反響を呼んだ。資料写真。
中国のSNS・小紅書(RED)に6日、「日本から戻ってきたら泣きたくなった」との投稿があり、反響を呼んだ。以下はその内容。
たまたま運が良かったのかもしれないけど、日本での毎日がとても楽しく、食事もどれもとてもおいしく、出会ったすべての人がとても親切で温かく、不快に感じるような出来事はまったくなかった。今振り返ると、幸せすぎて泣きたくなる。いったい何が私をこんなにも楽しませてくれたのか。
もしかすると、それは京都に到着した夜の居酒屋でのことかもしれない。畳の上に座って料理を分け合い、店員さんとぎこちなく翻訳アプリでやり取りした。店員さんは言葉が通じなくてもずっと笑顔で、耳には日本語のにぎやかな会話が響き、「まるで日本のドラマみたい。テレビで見たことある」と感嘆した。
もしかすると、それは二年坂で突然降り出した豪雨かもしれない。積乱雲の動きに合わせて、立ち止まったり歩いたり。口を大きく開けて濡れせんべいを食べ、写真を撮ったその瞬間にちょうど雷鳴が轟いた。京都の路地を歩きながら、灯籠に火がともり、かすかな煙が立ち上り、時折下駄の音が響く。感じ取れるもの以外、そこには何もなかった。
もしかすると、それは哲学の道で聞いた蝉時雨、下鴨神社の雨上がりの朝靄かもしれない。黄金色の夕陽が赤い鳥居と静かな水面に映え、神の美しき意思がその瞬間に降りてきたようだった。
もしかすると、大阪ほど明るくて気持ちのいい天気は他にないのかもしれない。毎日、まるで漫画のような雲、晴れ渡る空。遊覧船から岸辺に向かって「おおきに!」。大阪の情熱が、私の心と体をすっかり蘇らせてくれた。
もしかすると、それは中之島の静かな午後だったのかもしれない。ひとりで庭園の石段に座り、自販機で買ったアイスコーヒーを飲んでいた。背後ではストリートミュージシャンがサックスを吹いていて、その隣には静かに聞いている子ども。目の前では、ジャージを着たおじさんがランニング前の準備運動。結婚写真を撮っている夫婦にも出会った。私はたくさんの人の幸福の中を通り過ぎた気がした。
もしかすると、それは東京での「あまり完璧ではない」花火大会だったのかもしれない。浴衣を着た若いカップル、友人グループらが駆け回り、笑い合い、その青春に私は胸を熱くさせられた。私にとって花火大会は「一期一会」だけれど、彼らにとっては日常なのだと思うと、ちょっと嫉妬してしまった。
もしかすると、それは2日連続で見たライブだったのかもしれない。2日続けて自作の“痛シャツ”を着て、「かわいい!」という声を何度ももらった。何人かのファン仲間とも知り合い、SNSアカウントを交換した。電車を降りてからはスキップしながらホテルに戻り、幸せすぎて両親とビデオ通話をした。その後、2人からのメッセージ。「肌つやがきれい。まるで20代前半の頃のあんたみたいだった。幸せって顔に出るんだね」。
もしかすると、それは富士山の澄んだ山の景色と涼しい夜、河口湖のそよ風が揺れる時間かもしれない。和風の民泊に泊まり、美しい食器で豪華な朝食を食べた。もしかすると、それは伊豆で偶然出会ったおいしい食事と予期していなかった海上花火だったのかもしれない。偶然なのに必然、まさに完璧。
本当にそうだったのか、私には分からない。ただ分かるのは、日本で過ごした時間に聞いたあの曲はもう聞くことができず、はっきり思い出すこともできないということだけ。少しでも思い出そうとすると、涙がこぼれてしまう。まるで夢を見ていたかのようだった。あまりにも美しかったから、目覚めたくないのだ。(翻訳・編集/北田)
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