日本食品安全はいかに達成されたか、他国にはない問題改善能力―中国メディア

Record China    2014年10月15日(水) 12時33分

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14日、日本の商店でよく育った野菜を見つけたら、誰が育てているのかすぐに知ることができてしまう。方法は簡単だ。携帯を取り出して、野菜の値札のバーコードをスキャンするだけ。品種や栽培方法、栽培者の写真がすぐに画面に現れる。資料写真。

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2014年10月14日、日本の商店でよく育った野菜を見つけたら、誰が育てているのかすぐに知ることができてしまう。方法は簡単だ。携帯を取り出して、野菜の値札のバーコードをスキャンするだけ。品種や栽培方法、栽培者の写真がすぐに画面に現れる。農家の夫妻が畑で撮った写真を見れば、安全が守られているという信頼感がぐっと高まるのではないだろうか。このような生産現場への食品の遡及システムは、日本ではすでに珍しいものではなくなっている。

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安心できる食品を食べられる環境を作るまでには、日本人も困難で曲がりくねった道を通ってきた。日本の食品は安全問題がまったくないわけではないが、ほかの国では望めない問題改善能力があることは間違いない。

▼50年前の「毒粉ミルク」事件

1955年6月頃から、西日本各地の多くの母親が、赤ちゃんの元気がなくなり、下痢や発熱、嘔吐、皮膚の黒ずみなどの症状を起こしているのに気付いた。調査によって、親たちは禍源を突き止めた。子どもの飲んでいた粉ミルクが日本の大手乳業メーカーのものであるという共通点を発見したのである。

当時、同メーカーは粉ミルクの加工時にリン酸ナトリウムを乳質安定剤として使用していた。徳島の加工工場で使用していた質の悪いリン酸ナトリウムにヒ素が混入し、乳児の神経や内臓に深刻な損傷を与えたのである。事件が明るみになる前に、22人がすでに、毒ミルクを飲んで亡くなっていた。事件後1年で、死亡した乳児の数は130人に達した。

事件発生後に被害者の家族は、賠償と事後策についてメーカーとの交渉を開始した。だが思いがけないことに、交渉は10年余りにわたる厳しいプロセスとなった。大企業に対し、当時の政府はこれをひいきする態度をとりがちだった。このような環境によって民間の力が開花したことは、日本が食品安全の困難から脱する鍵となった。

▼転機

1966年、曙光が現れた。食品安全問題の激化を不安視した岡山県が「岡山薬害対策協会」を設立し、食品安全事件の被害者の救済にあたった。すると同事件の被害者の親がすぐに訪れた。彼らによる推進を受け、岡山県は被害児童35人の身体検査を行った。その結果、これらの被害児童に、程度の異なる後遺症があることがわかった。大阪大学の丸山教授はすぐに追跡調査を始め、1968年、有名な「丸山報告」を提出し、毒粉ミルクと後遺症との関係を証明し、大きな反響を呼んだ。日本は同年、最初の「消費者保護基本法」を施行した。日本が冷酷な発展主義から抜け出し、重心を消費者保護に移したことを示すできごととなった。

長年にわたって引き伸ばされてきた裁判の決着は1973年についた。この年の11月28日、日本の裁判所はメーカーの有罪を確定し、同社の社員2人が懲役3年の刑に処された。メーカーは12月、被害者家族の求めていた賠償請求を受け入れ、事件のすべての被害者を恒久的に救済することになった。

現在まで、毎年10億円以上の賠償金を支払い、被害者の健康の賠償と生活の支援に当てている。正義の到来を推進した民間の力は、食品を得る新たなルートを提供することになった。

▼強力な問題改善能力

「毒粉ミルク」事件を教訓として、日本には1976年、民間組織「よつ葉連絡会」が結成された。同組織は現在、有機食品の生産や加工、配送を行う関西最大の生産者と消費者との協力ネットワークとして成長し、4万人の会員がいる。この連絡会に加入している売り手はほぼ皆、大企業と競争する力のない個人業者や中小企業である。運営にあたってはまず、農家と消費者が連絡会の会員になる。会員の傘下にある農場が自らも一部を生産しつつ、付近の農民会員の商品を引き受ける。商品は検疫合格後、配送センターを通じて消費者の家に直接届けられる。生産者と消費者との直接的なドッキングはこうして可能となった。

「消費者はいつでもすべての生産者の元を訪れ、生産の過程を知ることができる。専門家を連れて行き、土壌の検査や製品の検査をすることもできる」。日本の食品安全研究に長期にわたってかかわってきた香港大学の学者潘傑(パン・ジエ)氏は語る。問題があっても、消費者はすぐにその責任者をたどることができる。このネットワークの会員になるということは、どの牧場の牛乳を飲むかを自分で決められるというメリットがある。

1970年代から、こうした組織の相互連携や協力は深まっている。彼らの声は日本政府の立法に無視できない推進的役割を持っている。2001年、日本では「狂牛病」事件が起こり、民間では対応を求める強い声が起こり、日本政府が「食品安全基本法」を打ち出すことにつながった。同年にはさらに、「農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律」が改正された。日本の食物は問題がないというわけではないが、他国では望むことのできない問題改善の能力を持っている。(提供/人民網日本語版・翻訳/MA・編集/武藤)

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