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大阪・関西万博の中国パビリオンで14日、「浙江省ウイーク(浙江週)・寧波デー(寧波日)」の開幕式が行われた。寧波デーは浙江ウイークの重要な一環であり、古くて新しい生命力ある街の魅力が存分に紹介された。
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大阪・関西万博の中国パビリオンで14日、「浙江省ウイーク(浙江週)・寧波デー(寧波日)」の開幕式が行われた。寧波デーは浙江省ウイークの重要な一環であり、「書物は古今を蔵し、港は世界に通じる」というコンセプトに基づき、文化を媒介にして歴史を証言者にすることで、極めて長い歴史を持ち、現代化によってさらに大きく花開く「寧波の伝説」が世界に向けて発信された。
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寧波舟山港は貨物の取り扱いトン数が世界第1位だ。寧波舟山港を出て日本に運ばれる貨物も、日本から来て寧波舟山港で陸揚げされる貨物も多い。そしてこの港は、かつて明州港と呼ばれた時代には遣唐使の重要な中国上陸地点だった。つまり寧波は、日中の友好と交流の歴史を知る「生命力ある生きた化石」の街だ。
寧波市政府の代表は寧波デー開幕式のあいさつで、「寧波は国家歴史文化名城(名都市)であり、7000年前の河姆渡遺跡は中国南部の稲作農業の起源を示しています。1700年の歴史がある天童寺は、日本の臨済宗と曹洞宗の祖庭(発祥の寺)の一つであり、日中の文化交流の歴史を見届けてきました」と紹介した。
2025年日本国際博覧会協会国際局の永野ひかる審議役(中国カントリーマネージャー)によると、中国パビリオンでは半年間の万博会期中、中国各地に特化したイベントが開催されるが、北京や上海のような中央直轄市以外の「市」の単位で開催するケースは多くはないという。永野審議役は「だからこそ、私は寧波市の力を感じます。大変光栄なことと思っています」と述べた。
寧波は中国の街として万博との縁が深い。1862年のロンドン万博では、寧波で作られた木彫工芸品が出展され、中国が世界に示した「看板展示品」になった。また、1876年には、寧波税関の李圭氏が中国人官僚として初めて万博に参加した。寧波は150年以上にわたり、各方面の組織の支援も受けて万博活動に積極的に参加し、世界に自らの魅力を示しつづけて来た。
14日の寧波デー開幕式では、日中両国の来賓8人が白い巻物の上に押印した。印章には寧波舟山港、天一閣、羽人競渡、河姆渡の双鳥朝日文様、弥勒聖壇、鼓楼、寧波博物館など、寧波を象徴する場所や文化財の要素が融合されており、その図案は歴史の凝縮であると同時に未来を指し示すものだ。
開幕式会場では寧波市の伝統芸能としてまず、音楽劇の越劇から、「梁祝(梁山伯と祝英台)」の一節が披露された。俳優は、江南地方特有の抒情的なメロディーに乗せて優美な演技を披露した。舞踊「秘色宋韻」では踊り手が、しなやかな体の動きで宋代の風雅さを描き出した。漁村部に伝わる踊りを伴う民謡の「馬灯調」では、生命力あふれるリズムによって、海に向き合って生きる「寧波魂」が示された。
寧波市側は今回の万博を契機に、日本をはじめとする諸外国との実務的な協力をさらに深め、「海辺の寧波、世界に向けて帆を上げる」という、寧波の生き生きとした「物語」を世界に伝えていく考えだ。寧波デー当日には、それ以外にも寧波の重厚な歴史文化、住みよく働きやすく観光にも適した環境、グリーン成長の勢いを全面的に紹介する一連のイベントが行われた。
寧波の歴史は1200年以上だ。寧波は中国の海外に向けた重要な「玄関口」であるだけでなく、比較的近くに京杭大運河の南端である杭州があることで、中国北部との結びつきも強かった。寧波は歴史を通じて、多くの旅人が訪れる街でありつづけた。
寧波市関係者の一人は、「『振り向けば美景、角を曲がれば美食、心を向ければそこに喜び』の街です。寧波にどうぞお越しください。発展の機会を分かち合い、山海の美味を味わい、四季の風景をご堪能ください」と述べ、観光やビジネス目的で寧波に足を運ぶことを呼びかけた。(翻訳・編集/如月隼人)
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