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日本で巨大な地震が起こったという一報が入ってきた。直ぐに日本に電話したが、電話は全くつながらなかった。写真は北京。
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2024年3月19日~22日、北京に行ってきた。民主主義に関するシンポジウム・「民主主義:全人類共同価値」第三回国際フォーラムで講演を行った。私はフォーラムの開催が世界の平和構築に果たす役割を積極的に評価し、気候変動、感染症などの地球的課題に対して、「人類運命共同体」の視点から取り組むことの必要性を訴えた。
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また、今日の世界をヘゲモニーの交替という視点から捉える理論体系に疑問を投げかけ、「グローバリゼーションの深まりと各国の相互依存度の向上に伴って、今日の世界では既存の理論体系で解釈できない現象がたくさん起きている」と分析し、「競争と協力が併存する今、誰が覇権を取るかを議論することは既に時代遅れになっている」と示した。
気候変動がもたらす地球温暖化の課題について、私は「全人類の共通努力が必要」とし、「そのために世界が真の運命共同体を形成する必要がある」と主張した。その上で、「中国発の『一帯一路』イニシアチブ、グローバル発展イニシアチブ、グローバル安全保障イニシアチブ、グローバル文明イニシアチブが、世界を見る上で、異なる視点を提供してくれた」とポジティブな評価を下した。
さらに、国連が世界の紛争を停止させるために有効に機能していない現状に触れながら、グローバル・ガバナンスにおける先進7カ国(G7)の影響力が多極化を背景として相対的に低下しているのに対して、欧州連合(EU)、20カ国グループ(G20)、上海協力機構、ブリックス(BRICS)などの国際機関が果たす役割が高まりつつあると指摘した。「これらの国際機関が国連と協力して、世界の平和と繁栄のために共に努力すれば、世界から衝突をなくすことができる」との展望を示した。
日本では少子化対策が大きな政治課題になっているが、中国でも同様で、このところ急に皆が心配し始めてきている。そこで、少子化問題に取り組んだ経験のある元厚生労働大臣として、北京の社会科学院で特別授業を行った。政府のシンクタンクである社会科学院は、実は2019 年に、「中国の人口がピークに達するのが2029年で、2030年から減少に転じる」という予測を出したが、その予測は外れた。2030年ではなく、2022年に人口が減少し始めたのである。
具体的には、中国の人口は前年比で85万も減少し、14億1175万人となった。中国の人口減少は、1961年以来、実に61年ぶりのことで、出生数は前年比106万人減の956万人であった。6年連続の減少で、人口1000人当たりの出生率は過去最低の6.77人であった。
中国では、1960年代以降、人口が爆発的に増加したが、それにブレーキをかけるために、政府は、1979年に「一人っ子政策」を実行に移した。この政策は極めて効果的で人口増の抑制に成功したため、政府はこの人口抑制策を廃止し、2016年からは二人目、2021年からは三人目を解禁した。
しかし、国民のほうは一人っ子政策を維持して、二人以上子どもを持つのに躊躇したままである。61年ぶりの人口減少という数字は、2023年1月に中国国家統計局が発表したものであるが、それ以来、人口減少、その原因である少子化についての議論が活発になっていった。そこで、今回、私が招かれて記念授業を行ったのである。専門家十数名と社会科学院の大学院生約30名が熱心に私の話を聴き、活発な質疑応答が行われた。
また、北京のファーウェイも訪問し、様々な先端技術開発の様子を視察した。電気自動車(EV)やAIなど先端技術の分野で中国が日進月歩の進歩を遂げていることを再認識させられた。
これまで何度も訪中しているが、一番記憶に残っているのは、2011年3月に北京と上海を訪ねたときのことである。それは、滞在最終日に日本で東日本大震災が発生したからである。北京では、旧友の王毅さん(現外交部長)に再会したり、政府の要人と会談したりした。その後、上海に移った。
2011年は、孫文の辛亥革命から100周年に当たり、午前中、私は復旦大学で「辛亥革命と中日関係」という講演を行った。また、日本の政治について、日本政治の研究者や学生を対象にゼミも行った。昼食を大学の教授たちと楽しんだ後、リニアモーターカーに乗ったりして、上海の町を散策した。そのときである。日本で巨大な地震が起こったという一報が入ってきた。直ぐに日本に電話したが、電話は全くつながらなかった。
夕方には、私のための公式晩餐会が上海の迎賓館で開かれたが、その時にも地震の詳細な情報は入らなかった。晩餐会の後、ホテルに戻って、テレビを見ると、地震と津波の惨状が映し出されていた。翌朝、私が予約していた中華航空機は日本に向けて飛んだので、何とか帰国できた。そして、国会議員として、災害対策に当たる多忙の日々が始まったのである。
■原題:二〇二四年の訪中と二〇一一年三月の思い出
■執筆者プロフィール:舛添要一(ますぞえ よういち)元東京都知事
1948年生まれ、1971年東大法学部卒。1973~75年パリ大学現代国際関係史研究所客員研究員。1976~78年ジュネーブ大学高等国際政治研究所客員研究員。1979~89年東大助教授。2001~13年参議院議員。2007~09年厚生労働大臣。2014~16年東京都知事。
※本文は、第7回忘れられない中国滞在エピソード「中国で人生初のご近所付合い」(段躍中編、日本僑報社、2024年)より転載したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。
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