中国の科挙は卓越した制度だった、現在の大学入試も同様―香港人ジャーナリスト

亜洲週刊    2025年6月22日(日) 21時30分

拡大

亜洲週刊の邱立本編集長、歴史上の科挙は卓越した制度であり、現在の中国で過熱化も指摘される大学入試も科挙に通じる面があると指摘する文章を発表した。写真は中国の大学入試会場周辺の風景。

中国で行われていた高級官僚の登用試験である科挙に、悪い印象を持つ人が多いのではないか。出題範囲が古典に限られて筆記試験に偏っていたために、実務能力が伴わない高級官僚が多くなり中国の近代化が遅れたなどの意見があるからだ。しかし香港を代表するジャーナリストの一人で、亜洲週刊の編集長でもある邱立本氏は、長い歴史を見れば、弊害もあったものの科挙は卓越した制度であり、現在の中国で過熱化も指摘される大学入試も科挙に通じる面がある利点の多い制度と論じる文章を発表した。以下は、亜洲週刊で発表された邱氏の文章の主要部分を再構成したものだ。

科挙制度は隋にさかのぼり、唐、宋、明、清を通して発展し、1000年以上続いて清末の1905年に廃止された。科挙という試験制度は階級の境界や地域の制約を打ち破り全国規模の人材選抜システムを生み出した。貧しい家庭や辺境地域の出身者も、長年にわたる苦しい勉学に耐えれば、抜擢されて権力の中心に直行する可能性を得た。

中国では科挙制度により、世襲貴族による権力独占が打破され、人材を埋もれさせず、国が才能と道徳を兼ね備えた知的エリートを選び、国の方向性を導かせることを可能にした。

中国では科挙制度により、学問をすれば財と地位を築けるという考えが定着した。しかも、古い時代の聖賢の書を学ぶ意味は個人の功利のためだけではなく、現実に生きる民のために命を捧げ、万世に大平安を開くという、儒家の理想主義を継承することでもあった。また、受験資格に身分は関係なかったため「国家の興亡は匹夫の責任」でもあるという精神が発生した。

唐代の状元(科挙での成績最優秀者)の郭子儀は安史の乱を平定した。詩人の王維や賀知章、書家の柳公権はいずれも科挙の状元だった。科挙はかつて「受験生は八股文(独特の型にはまった文章)を作り、詩を吟じ、人の現実から離れた」などと酷評されたこともあるが、国家危機の際に挺身する人材を輩出した点も否定できない。

宋末の状元の文天祥はその好例で、宋が滅びる危機の中で救国に勇み進み、捕虜となって降伏を勧められても断固拒否した。文天祥が残した「正気歌(せいきのうた)」は、国を思う感情を表出したことで、千古の名作とされるようになった。清末の進士(科挙の上級合格者)の林則徐も、科挙制度が育んだ人材の気骨を示し、アヘンを焼却して中国をアヘンの害毒から救おうとした。

科挙にはさまざまな限界があったにせよ、その公平性は広く民間に認められた。例えば問題の出題者を隔離措置の対象にすることで、受験側との不正な癒着(ゆちゃく)を防いだ。時代を経ると不正防止策が追加され、試験の公正性がさらに確保された。科挙制度はそのような努力により、天下の英才を集めて国家機構の一翼を担わせることで、社会を安定させる力になった。

現在の中国の大学入試は、世界最大の人材選抜システムだ。中国の大学入試は科挙の精神を受け継ぐものであり、階級や地域を超えて勤勉で才能ある者に理想を実現できる機会を提供し、社会の底辺からもエリートに上昇できる機会を確保し、公平な競争のもとで才能を評価するものだ。

中国の科挙は中華文化を継承する「天使」であるが、同時に形式主義や内実のない「悪魔」にしてはならない。この世界に類を見ない(現代版科挙である大学入試の)制度を、中国の国家競争力の強みに変えていくべきだ。(翻訳・編集/如月隼人

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

この記事のコメントを見る

noteに華流エンタメ情報を配信中!詳しくはこちら


   

we`re

RecordChina

お問い合わせ

Record China・記事へのご意見・お問い合わせはこちら

お問い合わせ

業務提携

Record Chinaへの業務提携に関するお問い合わせはこちら

業務提携