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作家の柴田海さんは、最近になり新たな詩集の「飛行家的船(飛行家の船)」などを出版したことで広く注目を集めている。
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作家の柴田海(しばた かい、中国語名は柴思原)さんは、最近になり新たな詩集の「飛行家的船(飛行家の船)」などを出版したことで広く注目を集めている。
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柴田さんは文学を通して自己と他者を探り、さらに異郷での生活の中で過去や故郷についての思索を絶えず深めている。社会科学的な冷静な観察と文学創作における感情的な表現の両面をあわせ持ち、複雑かつリアルな精神世界を表現している。そこで柴田さんにお話を伺うことにした。
■ 柴田さんは「異郷の客」という概念をどのように理解されていますか。
私たちは常に、故郷や過去がもたらした傷から逃れようとしますが、その一方で、私たちは故郷に強く引き寄せられます。現在と過去は、まるで二つの磁極のように反発しあい、私たちはその間で揺さぶり動かされます。
文学創作の中で、私たちは故郷から逃れたいという思いと、故郷に縛られている感覚との間で葛藤します。私たちはそうした過程を通して、まるで解剖するように自分自身や他者、故郷を見つめ、現在の自分と過去の自分との関係を処理しようとします。現在と過去は絶えず引き合い、自己と故郷もまた、絶えず引き合っているのです。
■ 文学創作とトラウマをもたらした体験との関係をどのようにお考えですか。
日常生活の中で、私たちは過去の痛みの記憶から逃れようとします。しかし、創作の場面では、そうした痛みの記憶を何度も思い起こし、それを素材として利用しなければならないことが多いのです。創作者とは、こうした痛みと共に生きるものです。
痛みを言葉にし、分析することは、私たちがその痛みから解放される一つの方法かもしれません。しかし、創作の中で痛みの記憶を何度も思い出すことは、その重圧をさらに増すことにもなりえます。これは一種の矛盾と言えます。
なぜなら、過去や故郷は、私たちの創作の重要な題材だからです。創作の際、過去の痛みの記憶を掘り下げ続けなければ、私たちは創作を続けることができないかもしれませんし、十分に深みのあるものを書くことも難しいでしょう。ですから、過去や故郷は私たち創作者という存在にとって不可欠なものであり、それは私たちに絶えず、改めて考えることを促してくれるものなのです。
■ 文学創作と「故郷」という概念との関係をどのようにお考えですか。
故郷は、私たちの創作者としての存在を証明する根源と言えます。私たちは、個人的なトラウマの経験を通じて、自分自身という独自な存在を確認します。故郷に対して批判を向けることもありますが、時にはそれを仰ぎ見たり、故郷を前にひれ伏す必要もあります。
私たちが故郷を真に棄損することはできないと理解しています。なぜなら、それを破壊してしまえば、新しい作品を生み出すことが難しくなってしまうからです。私たちは過去ときっぱり決別し、故郷との関係を清算したいと思っているように見えても、実際には過去の記憶を保ち、長く保ちたいと心の奥底で思っているのです。むしろ、完全に手放してしまうことを恐れているのかもしれません。そうなってしまえば、走り続ける理由を失ってしまい、ひいては自分自身を定義するための座標すら失ってしまうかもしれないからです。
故郷という山を「越える」ことは、そう容易なことではありません。一生をかけて過去と戦い続けながら、結局は克服できない人もいます。私たちが創作において自分に厳しく向き合う覚悟さえあれば、恐怖、憎しみ、そしてといった、永遠に掘り尽くすことのない題材を得られるかもしれません。故郷や過去との対峙の中で、常に新たな発見や再利用できる素材を得られることを、私たちは期待すべきなのかもしれません。
【プロフィール】
柴田海(別名:柴思原)
早稲田大学で経済学士号および政治学修士号を取得し、現在は早稲田大学政治学研究科の博士後期課程に在籍。文学創作の分野では科学普及、文芸評論、詩歌を手がけ、これまでにエッセイ集や詩集を多数出版した。
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