<面白っ!意外?映画史(3)>アカデミー賞の償い―ジョン・フォード、エリザベス・テーラー…

Record China    2014年9月6日(土) 18時25分

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2002年3月24日、ロサンゼルスで開かれた第74回アカデミー賞授賞式。主演女優賞には「チョコレート」のハル・ベリーが選ばれた。黒人では初めての快挙である。彼女の受賞は、それほど意外ではなかった。写真はハリウッド。

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2002年3月24日、ロサンゼルスのコダック劇場で開かれた第74回アカデミー賞授賞式。主演女優賞には「チョコレート」(マーク・フォスター監督)のハル・ベリーが選ばれた。黒人では初めての快挙である。彼女の受賞は、それほど意外ではなかった。この年のアカデミー賞は「黒人イヤー」になる可能性があったからだ。まず、「野のユリ」(1963年、ラルフ・ネルソン監督)で黒人初の主演男優賞を受けたシドニー・ポワチエが、特別賞を授けられることが事前に決まっていた。また、デンゼル・ワシントンが「トレーニング デイ」(アントワン・フークワ監督)で、黒人2人目の主演男優賞を取ることがほぼ確実視されていた。だから、主演女優賞も黒人で……となっても、おかしくなかった。

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ベリーのスピーチの間、「ムーラン・ルージュ」(バズ・ラーマン監督)でノミネートされていたニコール・キッドマンは「えっ、そんな馬鹿な」という感情をあらわにしていた。彼女は絶対の自信があったのだ。前哨戦のゴールデン・グローブ賞では「ムーラン・ルージュ」でミュージカル・コメディ部門の主演女優賞を獲得、「アザーズ」(アレハンドロ・アメナーバル監督)では、ドラマ部門の主演女優賞にノミネートされたからだ。

 

翌年、キッドマンは「めぐりあう時間たち」(スティーブン・ダルドリー監督)でアカデミー主演女優賞を獲得した。付け鼻をして顔を変えての演技は見事だった。このように賞を取るべき作品で逃した俳優や監督に、翌年以降に授賞するケースはいくつかある。

 

アカデミー監督賞をただ1人4度受賞しているジョン・フォードは1939年、西部劇の、いや米映画史上の大傑作「駅馬車」を発表し、監督賞にノミネートされながら受賞は逃した。代わりに40年の「怒りの葡萄」、41年の「我が谷は緑なりき」と連続で受賞した。

 女優では、ベティ・デイヴィスが「痴人の愛」(34年、ジョン・クロムウェル監督)で名演技を見せながら、ノミネートさえされなかった。これは今でも「アカデミー賞最大の過ち」といわれる。翌年、「青春の抗議」(アルフレッド・E・グリーン監督)で主演女優賞を得たものの、本人は不本意だった。

 

世紀の美女、エリザベス・テイラーは「愛情の花咲く木」(57年、エドワード・ドミトリク監督)、「熱いトタン屋根の猫」(58年、リチャード・ブルックス監督)、「去年の夏突然に」(59年、ジョセフ・L・マンキウィッツ監督)と、3年連続で主演女優賞にノミネートされたものの、受賞を逃した。「去年」では、20世紀最高の名女優、キャサリン・ヘップバーンを相手に引けを取らない名演だったが……。テイラーはその翌年、凡作「バターフィールド8」(ダニエル・マン監督)で受賞したものの、気に入らなかったという。ジェーン・フォンダは鬼気迫る演技の「ひとりぼっちの青春」(69年、シドニー・ポラック監督)ではなく、翌々年の「コールガール」(アラン・J・パクラ監督)で主演女優賞を獲得した。

 

それでも、受賞できればいい。名作、傑作で会心の演技をしながら受賞を逃し、その後、1度も受賞できなかった名優、大スターは何人もいるからだ。

川北隆雄(かわきた・たかお)

1948年大阪市に生まれる。東京大学法学部卒業後、中日新聞社入社。同東京本社(東京新聞)経済部記者、同デスク、編集委員、論説委員などを歴任。現在ジャーナリスト、専修大学非常勤講師。著書に『失敗の経済政策史』『財界の正体』『通産省』『大蔵省』(以上講談社現代新書)、『日本国はいくら借金できるのか』(文春新書)、『経済論戦』『日本銀行』(以上岩波新書)、『図解でカンタン!日本経済100のキーワード』(講談社+α文庫)、『「財務省」で何が変わるか』(講談社+α新書)、『国売りたまふことなかれ』(新潮社)、『官僚たちの縄張り』(新潮選書)など。

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