緊迫する南北関係と国歌が変わった日

北岡 裕    2024年2月20日(火) 6時30分

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北朝鮮や韓国では時に歌が罪になる。写真は2000年にソウルで買い求めたCDのカバー。

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映画監督・作家の森達也氏の著書に「放送禁止歌」(光文社知恵の森文庫)がある。テレビやラジオで放送されなくなった歌について、表現の自由や差別、自主規制などの背景から迫る名著だ。

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放送では流れない。でも探せば動画サイトで見ることができる。例えば愛知県出身のラジオパーソナリティーのつボイノリオ氏が歌う「金太の大冒険」。歌詞を紹介するのははばかられる実にくだらなく、また下品な歌なのだが、カラオケには入っている。

だから日本では「金太の大冒険」は想像以上に多くの人に知られている。一緒に歌えば盛り上がるかもしれない。たとえ酔って放歌高吟したとしても、通行人の冷たい視線は浴びこそすれ、おまわりさんに「やめなさい」と止められこそすれ、それが即、罪に問われることはない。

ところで北朝鮮・朝鮮民主主義人民共和国でカラオケといえば、数少ない夜の楽しみだ。ホテル、あるいは平壌駅近くのラウンジで歌うことができる。第一興商製の古いカラオケ機器が入っていることが多い。経済制裁前に日本から持ち込まれたであろう機器は長く更新されていない。だから日本の歌はあるが総じて懐メロ、昭和歌謡だ。ちょうど訪問者の年齢とマッチするので「懐かしい」と言いながらみな喜んで歌うのだが、日本語を理解し歌える女性接待員がほぼいないので、いかんせん盛り上がらない。北島三郎の「函館の女」の「はるばるきたぜ函館へ」の部分を「はるばるきたぜピョンヤンへ」と置き換えるとっておきのシャレもつるつると滑る。日本語を理解する男性の北朝鮮の当局者や案内員はウケて笑っているのだが、男性が喜んだところでさほど面白くもうれしくもない。ここで北朝鮮の歌を歌い、朝鮮語でジョークを飛ばし、美貌の女性接待員の人気を一人かっさらうのが私のいつものやり口なのだが、同行者らは渋い顔をしている。帰り道に「やっぱり社会主義国だからかサービスがなっとらん」と不機嫌なつぶやきも聞くのだが、ならばなぜ北朝鮮の歌を一つでも覚えてきて歌わないのか私は疑問でならない。

かつては日本語の歌を玄人はだしの声で聴かせる接待員がいた。2010年に高麗ホテルの地下のラウンジで女性接待員が歌った石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」を今も忘れられない。心震える歌声とはまさにこのことで、私は北京経由で平壌に降り立ったはずなのだが、そして青函連絡船にも乗ったことがないのだが、そして彼女も日本に来たことはないはずなのだが、冬の鉛色の津軽海峡を渡り函館に向かう連絡船の姿をその歌声に確かに見た。聞くと彼女たちは歌手の卵で、幼い頃から歌の才能に優れ、専門的な教育を受けてきたというのだから当たり前だ。歌い終わり、満面の笑みで「先生さま、どうぞ」とマイクを勧められたのだが、平壌の石川さゆりの後に自分の下手な歌を歌うのはさすがにはばかられた。ああ、北朝鮮はやっぱり社会主義国だ。客に対して無慈悲かつ手加減を知らない。

さて、外国人が日本の歌を歌うのは許されるが、北朝鮮の人たちはどうか。許されない。平壌文化語保護法と反動思想文化排撃法という法律ができて、近年特に韓流文化に対する取り締まりが厳しくなった。時に歌が罪になるのだ。

工場に飾られていた「祖国讃歌」の歌詞。北朝鮮では歌は教育の材料でもある

韓国も同じだ。ソウルで金日成主席、金正日総書記、金正恩総書記を称える歌を歌えば国家保安法違反に問われる可能性がある。もちろんその歌はカラオケ機器の中にも入っていない。そもそも韓国人は北朝鮮の歌をほぼ知らない。韓国でも時に歌が罪になるのだ。

だが例外がある。2000年の南北首脳会談以後、ソウルの仁寺洞に北朝鮮のCDなどを売る店ができた。そのCDを早速買い求めたのだが、政治性を排除した歌が多く収められていた。

その後、韓国のカラオケ機器にも、文化公演で最初に歌われることの多い「パンガプスンニダ」(お会いできてうれしいですの意)、「口笛」(北朝鮮で90年代に爆発的にヒットした恋愛の歌)などが入った。急速な南北関係の雪解けを感じた出来事だった。

統一歌謡と呼ばれている歌がある。その名の通り統一を訴える歌なのだが、歌詞を改めてよく読むと北朝鮮の政治的意図が巧妙に隠されている。例えば「統一はわれら民族同志で」の歌詞。「統一 統一は われら民族同志で 明るい太陽の下 われら民族同志で」とある。つまりアメリカなどを追い出して南北だけで、そして太陽とは北朝鮮における指導者の意味。つまり南北だけでかつ北側の指導者の下で統一しましょうとも解釈できる。北のクリエイターたちが巧妙に編み込んだ表現を読みほどく過程は対話のようで実に面白いのだが、他の歌に比べて政治性の薄い統一歌謡は韓国人にも受け入れやすいものだった。

ところが北朝鮮は統一を放棄する宣言をした。韓国を第一の敵国と呼ぶようにもなった。即戦争とならないとは思うが、今や関係は冷え切っている。もしかすると今後南北がどれだけ接近し友好的な関係を再構築しても、その形は統一ではなく国交正常化ではないかという思いを日に日に強くしている。

今後、統一歌謡の扱いはどうなるのだろう。まるで平壌の南の玄関のように堂々と建っていた祖国統一三大憲章記念塔を北朝鮮は撤去した。「わが共和国の民族史で『統一』『和解』『同族』という概念自体を完全に除去しなければならない」(最高人民会議第14期第10回会議における金正恩総書記の施政演説。1月16日付朝鮮中央通信より)と金正恩総書記は言っている。除去しなければならない「統一」の概念に統一歌謡は入っているのだろうか。

平壌でカラオケに行くと、歌の一覧がまとめられた冊子のページを繰るのがやめられず、なかなか歌い始めることができない。普段日本で聴いている北朝鮮の歌がずらりと並んでいて、再会に笑いが止まらないのだ。次回の訪朝の際、その冊子に統一歌謡は残っているのだろうか。歌うことはできるのだろうか。そして北のクリエイターたち。私が尊敬してやまない言葉の紡ぎ手たち。実に見事に巧妙に歌詞の間に政治的意図を編み込んだ彼らは今、何を思うのだろうか。

※追記

北朝鮮の愛国歌の歌詞が変わったことが2月15日に明らかになった。「三千里 美しい祖国」という歌詞が「この世の美しい祖国」となった。近々、北朝鮮の愛国歌を歌う機会があるのだが、間違わないようにと注意しながら、周りの人の歌声に私は耳をすませる。

■筆者プロフィール:北岡 裕

1976年生まれ、現在東京在住。韓国留学後、2004、10、13、15、16年と訪朝。一般財団法人霞山会HPと広報誌「Think Asia」、週刊誌週刊金曜日、SPA!などにコラムを多数執筆。朝鮮総連の機関紙「朝鮮新報」でコラム「Strangers in Pyongyang」を連載。異例の日本人の連載は在日朝鮮人社会でも笑いと話題を呼ぶ。一般社団法人「内外情勢調査会」での講演や大学での特別講師、トークライブの経験も。過去5回の訪朝経験と北朝鮮音楽への関心を軸に、現地の人との会話や笑えるエピソードを中心に今までとは違う北朝鮮像を伝えることに日々奮闘している。著書に「新聞・テレビが伝えなかった北朝鮮」(角川書店・共著)。

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※本コラムは筆者の個人的見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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