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蟳埔村を散歩すると、牡蠣の殻と海の砂を使って作られた「蚵壳厝」を見かけることができる。
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海上交通が便利で、海外貿易が盛んだった福建省泉州市の泉州港は宋・元の時代、「東洋最大の港」となり、マルコ・ポーロは「光明の城」と称えた。 当時、泉州からは中国の商船がシルクや陶磁器を積載し、泉州港の北岸に位置する蟳埔から出航し、インド洋に沿って進み、南アジアやアラブ諸国、東アフリカの沿海各国へと向かった。
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蟳埔村を散歩すると、牡蠣の殻と海の砂を使って作られた「蚵壳厝」を見かけることができる。蟳埔村の人々は昔から主に漁業で生計を立ててきたが、「蚵壳厝」に使われている牡蠣の殻は、地元で採れたものではなく、それより大きいアフリカ東海岸産の牡蠣の殻だ。
積み荷を下ろした後、何も積まずに帰途に就くと、船の重心のバランスが不安定になり、危険なため、中国の商船の船員は海辺に落ちている牡蠣の殻を集めてバラスト代わりにした。こうしてこれらの牡蠣の殻が蟳埔の海辺に運ばれた。牡蠣の殻には腐食しにくいという特徴があるため、現地の住民はそれを家の壁を作る時に使うようになり、中国南東部の沿海地域独特の特色ある建築様式となった。
泉州市の「蚵壳厝」を作る技術は2022年、福建省の第7陣省級無形文化遺産代表性項目リストに組み込まれた。(提供/人民網日本語版・編集/KN)
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