中国文化はロシア音楽に大きな影響を与えた―中国系ロシア人作曲家が紹介

中国新聞社    2023年12月28日(木) 15時30分

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中国文化はロシアの音楽に大きな影響を与えた。写真はチャイコフスキーの有名な「くるみ割り人形」の上演風景。同作品には「中国の踊り」が含まれるが、中国文化の受け入れのまだ「序の口」に過ぎなかった。

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欧州では近代に入ると、文化人や芸術家が中国文化に対する関心を高めた。音楽の世界もその通りで、中国に関連する重要な作品が長期間にわたって書かれ続けた。例えば1911年に初演されたマーラーの「大地の歌」は、唐代の詩人の李白、銭起、孟浩然、王維の作品の自由なドイツ語訳を歌詞に採用しており、音楽からも東洋的な響きを感じる。1992年に初演されたプッチーニのオペラ「トゥーランドット」は中国の姫とモンゴルの王子の物語で、全作を通じて中国民謡の「茉莉花」に基づく旋律が流れる。ところで、欧州諸国の中では中国に最も近いロシアにおける中国の影響はどうだったのか。中国人の父とロシア人の母の間で上海に生まれた作曲家でロシア・フィルハーモニー管弦楽団の団長でもある左貞観(ビクトル・ズオ)氏はこのほど、ロシアにおける中国音楽の影響を紹介する文章を、中国メディアの中国新聞社に寄稿した。以下は同文章の主要部分を再構成したものだ。

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中国音楽への関心は異国趣味に始まり本格理解に至った

西洋の芸術家や思想家は18世紀から、中国や日本、アラブ諸国などへの関心を強めた。ロシアは中国の隣国であり、ロシアの文化エリートは中国に特に注目した。プーシキンは中国で活動したロシア人宣教師に出会ったことで、中国に行きたいと願うようになった。トルストイは晩年、中国哲学に強い関心を持った。19世紀にはロシアの作曲家が中国を題材にした作品を書くようになった。最も有名な作品はチャイコフスキーのバレエ曲「くるみ割り人形」中の「中国の踊り」だ。ただし、現実の中国や中国音楽との関係はあまり感じられない。

西洋の音楽家は20世紀初頭になると、中国音楽そのものに注目するようになった。例えば旋律やリズム、さらに音階だ。この時代の作品で中国絡みで「文化遺産」と呼べる作品にはマーラーの「大地の歌」、プッチーニの「トゥーランドット」、バルトークの「中国の不思議な役人」などがある。それらの作品がなかったら、人類の音楽文化の宝庫の輝きのかなりの部分が失われてしまうと思えるほどだ。

1917年のロシア革命で成立したソ連は中国の民族解放運働に関心を持ち、同情するようになった。ソ連で中国の革命運動について多くの報道があったことも、ソ連での中国と関係のある音楽の創作活動を促した。その筆頭はセルゲイ・ワシレンコで、彼の「中国組曲」や「中国民謡曲調組曲」などの作品は、中国の伝統曲の旋律を用いた上で西洋音楽の和声や複雑な対位法を施しており、19世紀のロシア音楽の伝統も受け継いでいる。

1927年にはモスクワのボリショイ劇場で、ソ連を代表する作曲家の一人だったレインゴリト・グリエールのバレエ「赤いケシの花」が上演された。ソ連初の現代バレエとして、従来のクラシックバレエの習慣を完全に覆した作品で、しかも思わぬ部分で「中国的要素」を盛り込んでいる作品だ。


というのは、この作品には「金の指舞」「桃の花のソロ」など、中国の要素を持つ10以上の踊りの曲が含まれ、作品全体の見ごたえを大いに高め、より多彩にしているからだ。この作品は初演から4年間で300回以上も上演されるという、空前の成功を収めた。また、モスクワ以外の都市でも上演された。さらに米国と欧州数カ国での出張公演も大成功した。ロシアでは今もこのバレエ作品への関心が衰えておらず、近年も再演された例や再演の計画がある

また、ロシア革命後に中国に渡ったロシア出身の作曲家のアブシャロモフやチェレプニンが、中国を題材とした作品や中国をイメージした作品を大量に創作したことも重要だった。さらに彼らが中国の伝統音楽と西洋音楽を融合する過程で得た経験は、中国の作曲家に有益な啓発を提供した。

この2人の作曲家は、中国の伝統音楽を深く理解しており、「異国趣味」の段階から完全に脱却して中国文化の神髄を踏まえた音楽作品を書き上げた。アボシャロムフが中国で創作した交響曲やオペラ、バレエなどの作品の大半は、「本物の中国の作品」とも言える。チェレプニンの交響曲第3番は、スコアなどに「中国」の文字はないが「中国交響曲」と呼ばれている。

ソ連の音楽創作に極めて強い影響及ぼした中国文学

ソ連では1950年代に「西遊記」「水滸伝」「三国志演義」「紅楼夢」および中国古代哲学の一連の名著が翻訳出版された。中国の音楽を紹介する書籍も出版された。だが、ソ連の読者に最も好まれたのは唐詩(漢詩)だった。帝政ロシア期にはすでに、ロシア語に翻訳された李白、杜甫、王維などの詩が出版されていたからだ。これらの中国の歴史的な詩人はソ連の文学愛好家にとって、「なじみのある存在」だった。

ソ連では1957年に改めて「中国詩歌集」4巻が出版された。1962年には杜甫の生誕1250年を記念して、140首を収録したロシア語版の杜甫詩集が出版された。

ソ連でレベルの高い中国の詩の翻訳が紹介されていたことで、ソ連の読者に新しい精神世界が開かれると同時に、ロシアの作曲家の中国の詩を歌詞にした声楽作品を作曲する意欲が大いに刺激されることになった。

20世紀後半のソ連を代表する作曲家のゲオルギー・スビリードフの「行者の歌」は、王維、裴迪、白居易、賀知章などの詩を歌詞に使っている。作曲者は中国音楽の要素で作品を「飾る」のではなく、自分が中国の詩から受けたインスピレーションに基づいて創作したのが特徴だ。

社会主義政権下のソ連では、芸術活動は社会主義リアリズムに基づくものと定められていた。後にこの方針に逆らったとして批判されることになるエディソン・デニソフは、モスクワ音楽院に在学中に白居易の詩を歌詞にした声楽作品集「夜想曲」を書いた。デニソフが中国の古典詩を好きになった理由は多くのロシア人作曲家と同様で、中国の古典詩は人に斬新な感受性を与えると認識したことだった。中国の詩人は恬淡とした目で世界と自然を観察しており、作品からは大自然の音が聞こえてくるという評価だ。

オペラやバレエ音楽で特に有名なニコライ・シデルニコフは、杜甫の詩は時代を超越しており、1000年以上前に書かれた詩は今も共感を呼ぶと言った。シデルニコフは自らの作品の合唱曲「四川悲歌」に関連して、「杜甫の詩は全人類に属する深い意味を持っている。ミケランジェロやシェークスピアに匹敵する存在であり、世界の各時代、各民族の人々が共有するものだ」と書いている。

中ロ両国の作曲運動は、文化の相互交流の積極的な影響を受ける

近年は中ロ両国の文化交流がますます盛んになり、ロシア国民の中国文化に対する関心は高まっている。ウィ・プレシャックが作曲した交響曲「シルクロード」はその例証の一つだ。作曲者は自ら訪れた敦煌の莫高窟から着想を得た。この作品は演奏時間が70分に及び、琵琶や二胡、笙などの中国楽器も使われている。初演されたのは2018年の第3回シルクロード(敦煌)国際文化博覧会の期間中だった。

中国とロシアの芸術家の誠意ある協力は、中国と外国の文化の相互学習と融合が持つ深遠な意義を示すものだ。最近では、中国人作曲家がロシア文化のイメージを創作活動に取り入れることも増えている。私は中ロの文化の相互交流によって、両国の作曲家の創作活動に積極的な進展が生じていくと信じる。(構成/如月隼人

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