再考せよ、日本の国連安保理改革案=「準常任理事国」を目指すべき―赤阪清隆元国連事務次長

赤阪清隆    2023年12月20日(水) 7時0分

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日本の一大外交目標である国連安全保障理事会の常任理事国入りは長い間頓挫したままの状態が続いている。写真は国連本部。

日本の一大外交目標である国連安全保障理事会(安保理)の常任理事国入りは、長い間頓挫したままの状態が続いている。1994年に河野洋平副総理兼外務大臣(当時)が国連総会で、日本が国連安保理の常任理事国として責任を果たす用意があると表明して以来、日本政府は一貫してこの常任理事国への仲間入りを目指してきた。それからもう30年にもなるが、国連改革は遅々として進まず、最近では、ウクライナ戦争やイスラエルとハマスとの紛争に見られるように、安保理はその機能不全ぶりをまざまざと露呈してきた。

安保理がこのような状況にあるにもかかわらず、常任理事国入りを目指す日本政府の立場が全然変わっていないのはどうしたことか。この問題の停滞と閉塞感ゆえに、日本国民の世論の国連に対する好感度が、他の先進国に比べて驚くほど低い。2023年夏の米ピューセンターの国連への好感度調査では、欧州勢は軒並み60.7%以上、米国ですら58%が肯定的なのに対し、日本は40%でしかなく、この日本の低い数字は近年常態化している。

国連安保理の構成メンバーは、拒否権を持った常任理事国が5カ国(米英仏ロ中)と非常任理事国10カ国の合計15カ国である。常任理事国はファーストクラス、非常任理事国はビジネスクラスによく例えられる。常任理事国は、常にイスが用意されており、決議の採決に際し拒否権があるという大きな特権を持っているが、それ以外は両者にそれほど大きな差があるわけではない。むしろ、両者とも安保理のメンバーでない大多数の加盟国(エコノミークラス)との間に大きなギャップを有している。国際の平和と安全の維持のため、日々世界各地の紛争案件に神経をとがらせて対策を審議しているのが、安保理の常任(ファースト)および非常任理事国(ビジネス)の面々である。

日本が常任理事国入りの意向を初めて示した30年前、日本は押しも押されもせぬ堂々たる世界の大国であった。1968年にドイツを抜いて世界第2位の経済大国となったあと、世界のGDPに占める日本の割合は、1980年に約10%に、1995年には17.6%にまで跳ね上がり、経済大国としての地歩を固めた。1990年代、日本の国連予算の分担率は上昇を続け、2000年には米国の25%に次ぐ2位で、20%強にまで増大した。政府開発援助(ODA)は世界1位。まだバブル経済の余熱が残っている時代であった。

当時、世界保健機関(WHO)のトップには中嶋宏氏、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のトップには緒方貞子さん、そして国連本部では明石康氏が活躍していた。1994年のカイロでの国連人口開発会議の際の光景が懐かしく思い出される。人口問題を議論するパネルの壇上には、WHO、国連人口基金、国際保健議員連盟の幹部が並んだが、それぞれ中嶋宏、安藤博文、中山太郎とすべて日本人であった。そして、1997年には、日本政府は京都で地球温暖化防止会議を主催した。

あれから一時代が過ぎて、日本の世界におけるプレゼンスは様変わりした。2010年に中国に抜かれて世界3位となった日本の経済力は、現在では世界のGDPの約5%しか占めるにすぎなくなり、2023年中にはドイツに抜かれて世界4位の地位に落ちた模様である。1人当たりのGDPでは、2023年中に韓国、台湾に追い抜かれたと推測される。政府開発援助の2023年度予算額は、1兆1000億円を超えたピーク時(1997年度)に比べて半額以下の状況だ。日本はもはや、世界の大国の地位から転落しつつあるといってもよく、これからは中堅どころの国々に仲間入りしつつあると認識すべきであろう。昔の経済大国としてのイメージが強く残っていて、そのノスタルジアに浸りがちな高齢者に比べて、現在の日本の若者はそのような幻想を持っていないように見受けられる。

日本は、安保理のファーストクラスの座を狙うために、同様の野心を持つドイツ、インド、ブラジルといわゆるG4グループを組んで、グループとしての決議案作りや閣僚会議を開催してきた。このうち、ドイツは言わずと知れた欧州連合(EU)の雄であり、確固とした欧州諸国の地盤があり、経済力でも日本を上回りつつある。インドは最近、世界1位の人口大国となり、経済力も近く日本に追いつかんとする、右肩上がりの昇り龍だ。ブラジルは豊富な資源大国であり、人口も日本の2倍近くの「将来の大国」だ。こうしてみると、右肩下がりのわが国とこれら三国との間にはれっきとした差があるのが分かる。このG4グループは少なくとも日本の観点からは「持続可能」ではない。

日本としては、そろそろファーストクラスを目指すのをやめて、ビジネスクラスでいいではないかという声が、国連に関係した外務省OBからも次々と上がっている。2015年に「ビジネスクラスに乗りますか?」と外務省関連の会誌に寄稿文を載せたのは、2021年に亡くなった大島賢三元国連大使である。彼は、「ビジネスクラスが数席できれば、貢献能力の高い国で多数の再選支持が確保できる実力国には、100パーセントの確証はなくても、“事実上の常任性”への道が大きく開かれることになる」と主張した。登誠一郎元OECD大使、元内閣外政審議室長は2019年1月7日付けの朝日新聞の言論サイトで、「常任理事国入りの理想は一旦棚上げを―現実を見据え、準常任理事国制度の創設を新たな外交目標に掲げよう」と提言。吉川元偉元国連大使も2022年4月19日付けの日経新聞に「準常任理事国創設へ国連憲章改正を」との寄稿文を掲載した。最近では、神余隆博元国連次席大使、元ドイツ大使も、日本がファーストクラスを得られる見込みはなく、政策を転換して、反対の少ないこのビジネスクラスたる「準常任理事国」の創設を目指すべきとの主張をしている。

「準常任理事国」案というのは、現行では、非常任理事国は連続再選ができず、任期も2年にとどまるのを、国連憲章を改正して、非常任理事国数を増やし、その任期を数年程度延長するとともに、連続再選を可能にするものである。これだと、選挙で選ばれさえすれば、かなりの長期間にわたって、非常任理事国として安保理のメンバーでいることができる。すでに2005年の段階で、当時のコフィー・アナン事務総長は、「メンバー国にとっての選択は、10年20年かかっても完璧な解決を追求するか、準常任理事国の線でいま妥協の道を探求するかである。後者であれば合意形成は可能であると確信する」と述べていた。当時のアナン事務総長案の、ビジネスクラスだけを増やす案であれば、実現する可能性はあったのだ。

日本政府はいつまで実現しそうにない夢を追い続けるのだろうか?そろそろ目を覚まして、実現性の高い改革を目指すべき時である。この問題については、政治家にも、外交官にも、国連幹部にも、強いリーダーシップが求められる。国民の声も大きくならなくてはいけない。ことは、日本の国益、外交的な利益、国際的プレゼンスの向上、日本の声の国際的な発信力に大いに関わることである。安保理のメンバーでいることと、安保理の蚊帳の外にいるのでは、月とスッポンほどの違いがある。2023年と2024年の2年間は、日本はこの安保理の非常任理事国としてビジネスクラスに乗っている。しかし、報道によれば、この後はアジアグループの多くの国が立候補を予定しているので、日本が再び非常任理事国に立候補するのは2032年になるようである。それでは、少なくとも8年間は安保理の蚊帳の外の、エコノミークラスに甘んじなければならない。これからの日本の将来を見通すとき、もはや一刻の猶予も許されない。早急にこれまでの政策の転換を図り、悲願の安保理改革を実現してもらいたいと思う。

■筆者プロフィール:赤阪清隆

公益財団法人ニッポンドットコム理事長。京都大学、ケンブリッジ大学卒。外務省国際社会協力部審議官ほか。経済協力開発機構(OECD)事務次長、国連事務次長、フォーリン・プレスセンター理事長等を歴任。2022年6月から現職。

※本コラムは筆者の個人的見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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