中国を研究する学問の呼称が変化しつつあるのはなぜか―専門家が背景を説明

中国新聞社    2023年12月6日(水) 22時30分

拡大

欧米では中国を研究する学問分野が伝統的に“ Sinology (シノロジー)”などと呼ばれてきた。しかし現在、この言葉は使われなくなりつつある。なぜなのか。

(1 / 2 枚)

英語では中国を研究する学問分野が伝統的に“ Sinology (シノロジー)”と呼ばれてきた。欧州のその他の言語も同系統の言葉を使ってきた。この言葉は現在の日本では中国学、中国では「漢学(ハンシュエ)」と呼ばれている。しかし現在、“ Sinology ”系統の言葉は使われなくなりつつある。なぜなのか。北京外国語大学中華文化国際伝播研究院院長の張朝意教授は、このほど中国メディアの中国新聞社の取材に応じて、そのあたりの事情を説明した。以下は張教授言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。なお本稿では、中国を研究する学問分野の伝統的な呼称として「漢学」を用いる。

その他の写真

「片手に聖書」の中国研究が時代とともに多く変化

最も早い時期に中国を研究した西洋人としては、マテオ・リッチ(1552-1610年)などが知られる。彼らは宣教師として漢学を研究した。彼らが中国に対する見方はたいていの場合、「奇怪な国」だった。東洋に中国のような国があり、「神不在の国」でありながら、人々は幸せそうに生きていたからだ。彼らは明代に編まれた、孔子や孟子、老子、荘子などの言葉を集めた格言集の「明心宝鑑」や、儒教の経典を翻訳して西洋に紹介した。「宣教師研究者」の本質的な目的は、「新人宣教師に中国語を教える」「西洋の精神修行の観点から儒教の経典を読むこと」だった。

19世紀になると、さらに多くの西洋の思想家が中国に関心を持つようにあり、中国の伝統文化と古代思想への理解を深めた。研究目的がキリスト教の布教に役立てるためから、純粋に文化や思想への関心に変わった。初期の漢学研究における変化だった。

今日の漢学の状況は二つの面から見なければならない。まず、われわれは外国人学者の漢学研究だけに注目してならない。現在は中国国内でも漢学の研究は非常に人気がある。また、中国では外国語や外国文化を学んだ上で、異文化研究に取り組む人が非常に多くなった。多くの研究者は外国語のレベルが高く、外国人学者の数百年にわたる研究の蓄積に目を通した上で、改めて中国を見る。この作業は非常に興味深いものだ。かつては中国人による中国研究と西洋人による漢学の間には溝があった。現在では、中国の新しいタイプの研究者が間接的に「世界の中国学」の形成を推進していると言える。

海外における中国研究の重点が移行

次に、中国国外の漢学の状況を見ると、一部の人は今も従来型の研究対象、すなわち諸子百家など伝統思想を中心に研究している。しかし現代中国の研究する人が増えた。彼らの多くはシンクタンクなどを拠点にして、現代中国の政治、経済、法律などをウオッチングしている。このような人々の数と影響力はすでに、伝統的な漢学研究者をはるかに超えた。

中国を対象とする研究分野の総称として、従来からの「漢学」ではなく“ China Studies(中国学)”の語を使う人が増えていることには、このような背景がある。つまり「漢学」では古いタイプの研究の印象がつきまとうので、「漢学」は従来型の研究の名称として、「漢学」と新しいタイプの研究を含めた総称としては「中国学」を使うべきだという考え方だ。中には、「中国学の名称は米国人が言い出したものだ」として嫌がる昔気質の研究者もいる。しかし私は「中国学」の呼称は学界の変化に対応するものなので、定着すると思っている。

もう一つの変化としては、中国研究に取り組む外国人研究者が中国人研究者の意見を「よく聴く」ようになったことがある。海外の研究者は文化関連を研究する中国人だけとではなく、さまざまな学術分野の中国人専門家と直接に交流するようになった。例えば気候問題や政治についてだ。そのような外国人研究者は「中国学の専門家」ではなく、「中国の気候の専門家」、「中国経済の専門家」と呼ぶべきだ。彼ら自身もそのように呼ばれたがるようになった。もしかしたら外国人研究者の脳内では、「中国学」という呼称ですら、聖書を片手に中国にやってきたかつての宣教師研究者のイメージを感じてしまうのかもしれない。

多くの外国人研究者が、漢学から中国学への用語の変化の背景には、中国の国力の拡充や世界への影響力の拡大があると考える。より多くの海外の学者が自ら中国を研究し、中国人研究者と対話していることは、世界が中国を研究する必要がさらに高まったことを物語っている。別の側面から見れば、外国人は中国学者の国際的視野と国際的表現力を大幅に向上させ、現代中国と世界の対話を促し、中国と外国文明の交流と相互参照を促進している。これは中国の学界にとっても中国にとっても意義深いことだ。

中国に対する批判的な視線があるのは当然

私は、海外の多くの分野の中国研究者が中国を深く理解するにつれ、さらに多くの人が異なる側面から中華文明の偉大さを理解していることに気づいた。彼らの多くは中国の社会統治を肯定しし、中国の経済発展に期待している。

中国に対する批判的な視線があってもかまわない。いかなる文化、いかなる文明も、異なる立場からの視線にさらされねばならない。

カナダ人の著名な研究者であるロジャー・T・エイムズ氏は数十年前に、疑問を抱いて中国に来たが、中国の大学で長年にわたり自らとは母語や文化の背景が違う大勢の学生を指導した。これらの若者は中国学の世界的な発展に際立った貢献をするようになった。

私は、中国人研究者と外国人研究者が共同で、中国文化の現代的価値と世界的意義を世界に示していきたいと考えている。われわれにはその責任がある。多くの西洋人は中国文化を世界史の中に位置づけてきた。例えば漢代の深くて広い文化や世界に評価されるべき唐代の文化だ。しかしこれらは過去のことだ。今の中国人は、中国文化に自信を持っている。この自信はどこから来ているのか。中華文化は世界に何を示せるのか。中国文化についてのこのような自己認識は、中国人研究者と外国人研究者の異なる視点を通じて説明する必要がある。(構成 / 如月隼人


※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

この記事のコメントを見る

ピックアップ



   

we`re

RecordChina

お問い合わせ

Record China・記事へのご意見・お問い合わせはこちら

お問い合わせ

業務提携

Record Chinaへの業務提携に関するお問い合わせはこちら

業務提携