<日本人が見た新疆>こんな自然・文化・歴史があったのか、毎日が驚きの連続

Record China    2023年11月9日(木) 11時20分

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中国駐大阪総領事館が企画した新疆ツアー第二陣が9月に行われた。参加者の井手啓二さんは新疆ウイグル自治区で見たこと、感じたことをつづった。写真は火焔山。

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中国駐大阪総領事館が企画した新疆ツアー第二陣が9月に行われ、参加者はカシュガル古城、エイティガールモスク、カシュガル市老城区保護総合治理紀念館などを訪れた。

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ツアーに参加した井手啓二さんは、新疆ウイグル自治区で見たこと、感じたことを以下のようにつづった。

私は、コロナ禍が始まって以来、いつから自由に外国旅行に出かけられるのかに注意してきました。22年秋以降、だんだん条件が整い始めたので、23年末には中国にもビザなしで出かけられるのではないかと期待していました。

20年の年頭からのコロナ禍襲来は、国内外旅行の自由を奪いました。それまで毎年1回は中国に出かけ、数年に1度は中国以外の国を旅行するのが楽しみの年金者の生活ですから、齢80歳になる私には、残された数少ない自由・楽しみの一つを剥奪された思いでした。

今年初め、一度も中国を訪れていない娘の一家4人を連れて年末に中国旅行をすることを計画していました。これは私と妻の夢で、娘・孫たちに隣国中国のありのままを見てもらい、少し認識を深めてもらいたいためでした。しかしまだビザなし訪問の機会は実現していません。ごく普通の日本人にとり中国行きの壁はまだ高い。これが今回の旅行に参加した理由の1つです。

私と1歳下の妻には、学生時代には外国旅行の自由はありませんでした。1964年以後、制限は段階的に緩和されましたが、大半の国民にとっては1970代前半まで手が届きませんでした。私と妻にとって初めての国外旅行は1975年の2週間のポーランドへの旅行でした。以来、私は機会を得ては外国に出かけるようになり、すでに35か国余を訪れました。外国を知ると同時に日本がよくわかる、この喜びは無上のもので、病みつきになります。

私と妻は、それぞれ62年、63年から中国語を学び、妻は中国語専攻ですが、1990年代に入るまで共に中国訪問の機会はありませんでした。1972年の国交回復以前は行けなかったわけだし、国交回復以後もさまざまな理由から日中間の人的交流は限られていました。

しかし、1980年代半ばから中国人留学生が漸増し始めました。大学教師だった私はこの頃から日常的に中国人学生と交流することによって中国への理解を深めることができました。学部・大学院のゼミなどで交流を持った中国人学生・院生はおそらく数百人に上ります。その何人かは中国の大学教師となっています。今回の旅行中にそのうちの2人に電話しましたが、共に65歳の定年が間近となっており、時の移ろいを感じました。

今回の新疆旅行と関係のない、私と中国の関係を長々と書きました。実は、私は2008年に65歳で定年を迎えたのですが、この年からコロナ禍が始まるまで、中国福建省の福州大学および同至誠学院の外国学部日本語学科で、当初の6年間ほどは客員教授として、その後は集中講義、単発の講演を行う関係を続けてきました。これが私にとり初めての長期の中国滞在機会を与えてくれ、中国理解を深めてくれました。文献だけでは到底知り得ないことを多々知りました。大変ありがたいことで、深く感謝しています。

ともあれ、60年代初めから中国語文献を読み始め60年余、90年代から中国を訪れ30年余、中国各地をかなり訪れてきました。新疆訪問は日中友好協会長崎県連主催の2012年の天山北路の11日間の旅行が初めてで、今回が2回目。天山南路にはぜひ行きたいと思っていましたので、この旅行にとびついたわけです。これが今回参加の第2の理由です。どこであれ、全く知らない土地をすぐ理解できるわけではないのですが、初めての印象は強烈で忘れがたい。ウイグル語、カザフ語、モンゴル語も全然知らない。新疆に住む知人・友人もいませんでしたが。

火焔山を背景に若き同行者お二人と(中央本人)

11年前に初めて新疆を訪れ、今でもカナス湖、ナラティ草原、五禾村のあまりの自然の美しさ、新疆建設兵団の広大な綿花畑、カザフタン国境のコルガス口岸などを鮮明に思い出します。妻は05年にフランス人の友人と天山南路を20日間ほど訪ねていて、折々に話し、私をうらやましがらせていました。その私にも天山南路を訪ねる機会が訪れ、歓喜しないわけがありません。早速、新疆に関する本を10冊ほど読み返し、または新たに読んで認識を新たにしました。テレビのシルクロード関係はよく見ていましたが、そこで登場する仏教遺跡保存に尽力するお坊さんが小島康誉氏であることを新たに読んだ本で知り、こんな立派な日本人がおられるのか、と感服していましたが、その小島氏が第2陣の歓送会も兼ねた出発前日の新疆文化の集いに列席しあいさつされたのを間近に見て、2度目の仰天をしました。テレビで拝見し、その著書を読んだ人に図らずも会う機会など私には滅多にはないことですから、この日は興奮を抑えられませんでした。

今回の旅では、出発前からもう一つ大きな驚きがありました。55年ぶりに大学時代の親しい友人、それも数年後に文革評価を異にし、その後会う機会のなかった友人が、18人の日本人参加者の中におられたのです。お互いに全くの想定外で、この55年間の空白を埋めるため旅行の間中、種々話し込みました。こんなことが起こり得るのか、人生のあまりの不思議さに圧倒され、この旅が忘れられないことになりました。

では、今回の天山南路の9日間の旅で、私は何を感じ、考えたのか?有名な観光名所はほとんどご案内いただきました。楼蘭美人に再会した新疆博物館を除いて、どこも初めてだから印象は強烈です。こんな自然・文化・歴史があったのか、と毎日が驚きの連続でした。草原と放牧と多民族が共生する天山北路との違いにも圧倒されました。そのいくつかだけを記してとりあえずの感想とします。

一行を見て喜ぶウイグルの子供たちと8日夕食レストランの前で

1.トルファンでカレーズを初めて見ました。タクラマカン砂漠の地下に多くの水路があり、実は砂漠に多数の水路があること、川も多数あるとは初めて知りました。釣り人も見かけました。全く想像外で、オアシス都市の規模も人口40万~70万人に達しているとは認識していなかったので驚きました。

2.アクスで3年前に52戸の農家によって設立された綿花生産合作社(330ムー)および大手紡績会社の華孚時尚株式会社(従業員5200人)に案内され、それぞれ組合長および技師長、社長から丁寧な接明を受け、カシュガルではウイグル族の子供が学ぶ小学校を訪問しました。いずれも新疆社会の近代化の前進を感じさせてくれました。こうした見学は通常のツアーではとても経験できない、ありがたい企画でした。

3.私は今回の旅行中、生まれて初めてウイグル人と日本語で話をしました。参加者の中にアラファトさん(32歳)がおり、現地ガイドのヌルさん(58歳)、そして9日間付き合ってくれた運転手さんです。前のお二人は日本語が堪能。9日間、新疆のさまざまな事情・生活について質問して、答えていただき、私の新疆についての認識が飛躍的に深まりました。これが今回の旅行での最大の収穫でした。この3人の方に深く感謝しております。今一人、新疆対外交流協会との交流でマイムル・マイヤルさんという日本医科大学で研修された女性産婦人科医とお会いしたことも忘れられません。11年前、新疆に進出している日本企業は2社だったと記憶していますが、23年現在で3社だそうで、あまり進展していないことは意外でした。

4.同様に、各地から参加された今回の参加者のお仕事・経歴・考えは多様で、私の日常の生活では接触する機会がない方々が多数で、大変多くのことを教えられました。これも大収穫で、ツアーならではのことです。今後も種々お教えいただくことになりますので、大変ありがたい機会でした。同行者と夜に付き合ったのは大阪に帰着した9日の深夜だけでしたが、大変多くを学びました。

5.新疆博物館を訪れたのは2回目だったので、3800年前の楼蘭美人との再会を含め、余裕をもって鑑賞できました。同じ場所を2回・3回と訪れることの必要を感じました。第1陣にはなかったトルファン―クチャ間の6時間の南疆鉄道の4人コンパートメントの旅は快適でした。6時間があっという間でした。また、海抜3600メートルに位置するカラクリ湖から見る美しい景観は圧巻でした。9日間の快晴続きにも感謝しました。

6.新疆は、陽気な歌と踊り、ブドウ、ハミ瓜、ザクロ、スイカ、リンゴなど豊富な果実が有名で、毎食満喫しました。なぜか好物の竜眼も目にしました。ビールは9日間、地元のWUSUビール一本槍でした。これも初めての経験でした。

ともあれ、訪れたどの場所も初めてなので強烈な印象で、それぞれについて述べればきりがありません。大阪総領事館(特に同行された聶瑞麟領事)、中国国際旅行社(同前、張兵社長)、新疆対外交流協会(同前、羅暁虎さん)の行き届いた準備・配慮には感嘆いたしました。現地添乗員として深い専門知識を持つベテラン(楊耀華さん、ヌルさん)のお二人の案内・説明は抜群でした。こんな優秀な添乗員さんに出会ったのは初めてでした。御礼申し上げます。

私が覚えた不満は、スケジュールがあまりにも盛りだくさんで、自由行動時間がほとんど全くないことの1点だけです。今回の旅行で、もう一つ大変驚いたのは、浦東、ウルムチ、カシュガルの空港、トルファン北駅、高速道路のサービスエリア、ホテル周辺の街路、コンビニ、宿泊ホテルなどで新聞・週刊誌・地図販売店を探しましたが、どこでも発見できませんでした。中国旅行で新聞、週刊誌、地図、辞書を含めて本を1冊も入手できなかったことは初めての経験でした。デジタル社会化の進展の影響なのでしょうが、活字人間の私には大変ショックでした。9日間の旅行で新聞を手にしたのは飛行機の中だけというのは、私の人生では初体験でした。時間がありませんでした。これも今回の旅行の忘れがたい思い出の一つです。

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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