谷村新司さんの「昴」はアジア人共通の記憶―中国メディア

Record China    2023年10月18日(水) 17時0分

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16日、澎湃新聞は、日中交流で大きな功績を残した谷村新司さんを追悼する文章を掲載した。

2023年10月16日、中国メディアの澎湃新聞は、日中交流で大きな功績を残した谷村新司さんを追悼する文章を掲載した。以下はその概要。

谷村さんが10月8日に74歳で亡くなった。代表曲の「昴」は、700曲を超えるという谷村さんの作品の中でも特に多く歌われてきた。谷村さんは海外のコンサートで必ずこの曲を歌い、ニューアルバム「38年目の昴」では新たに録音し直したバージョンを収録した。「昴」を歌い続ける姿勢は保守的とも言えるし、大切なものを愛し、守ってきたとも解釈できる。

「昴」を収録した同名のアルバムは1980年4月にリリースされて成功を収め、特に主題曲の「昴」はさまざまな言語に翻訳されてアジアで広まった。「昴」はまさにアジアの人々の共通の記憶なのである。この曲の素晴らしさは言葉で伝えなくても胸を打つところにある。日本の伝統的な歌謡の哀愁を持ちつつ、唐詩の開放的なムードを備えており、文化的に近い地域で共鳴を得ることに成功したのだ。「昴」の歌詞は楽観的でも悲観的でもなく「先に人は見えず、後から来る者もいない。天地の雄大さを思い、独り涙を流す」と述べている。それは言いようのない運命そのもののようであり、混沌(こんとん)として、孤独で寂しく、矛盾を抱えながらも、なおも希望に満ちて明るいのである。

谷村さんは81年8月23日に北京の工人体育館で中国の歌手たちとのコンサートに参加し、初めて中国で歌を披露した。これ以後、アジア全域に目を向けるようになり、日中両国の懸け橋としての役割を全うし続けた。2010年の上海万博にコンサートのオファーを受けた際には、予定されていた日本国内ツアーのスケジュールを変更してでも駆けつけて歌を披露した。そして同時に、一つの曲やステージに対して常に真剣に取り組むアーティストとしてのひたむきさも見せ、中国側の関係者の心を打った。

華やかなステージや政治的な交流に加え、谷村さんは中国の若者たちと向き合って時間を過ごすこともいとわなかった。04〜08年には上海音楽院の客員教授として毎月1週間上海で過ごし、学生一人ひとりの個性を大切にしながら、作詞、作曲、編曲の方法からステージに上がるまでの全プロセスを懇切丁寧に指導した。

谷村さんは典型的な「戦後生まれ」の日本人であり、自信とエネルギーにあふれ、隣国に友好的で、子どもたちに関わる事業や音楽教育事業に力を注ぎ続けた。日本の音楽シーンで尊敬を集める立派な先達であるとともに、政治的な流れが変わろうとも芸術家としての良心をもって日中友好を推進してきた。日本文化の「もののあわれ」と「武士道」の精神を持ち、伝統文化の保守と外国文化の高度な受容という両極がバランスを保つ、まさに昭和後期の開放的な時代を体現したような人物だった。(翻訳・編集/川尻

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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