甲午海戦で沈没した「来遠艦」遺跡、水中考古調査がスタート―中国

CRI online    2023年9月1日(金) 19時50分

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中国国家文物局によると、甲午海戦で沈没した「来遠艦」遺跡の水中考古調査がこのほど、山東省威海で始まりました。

中国国家文物局によると、甲午海戦(1894年に清朝の海軍と日本海軍の間で戦われた海戦)で沈没した「来遠艦」遺跡の水中考古調査がこのほど、山東省威海で始まりました。

今回の水中考古調査は60日間の予定でおこなわれ、国家文物局考古研究センター、山東省水中考古研究センター、中国甲午戦争博物院と威海市博物館、そして山東省、広東省からの水中考古隊員および広州引き揚げ局員が合同でチームを組んで実施します。

今回の考古調査は2022年の調査を基に、観光埠頭(ふとう)の南部海域にある「来遠艦」遺跡で砂を抽出して本来の姿をあらわにし、同艦の保存状況や場所などの情報を初歩的に明らかにし、甲午海戦と世界の海軍艦艇の歴史の研究に貴重な実物資料を提供できると見込まれます。

「来遠艦」は清朝政府が1886年にドイツのヴルカン・シュテッティン(AG Vulcan Stettin、ドイツの造船会社)に注文したもので、船長82.4メートル、幅11.99メートルで、北洋水師(清朝海軍)の主力艦艇の一つです。「来遠艦」は威海衛海戦で砲弾を発射し、これにより日本軍第11旅団の大寺安純旅団長が戦死しました。1895年2月6日未明、「来遠艦」は威海衛鉄埠頭で日本軍に奇襲され、魚雷攻撃を2回受けた後、横転して沈没しました。(提供/CRI

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