西洋の「論理的理性」と中国の「歴史的理性」、専門家が「一長一短」と指摘

中国新聞社    2023年9月5日(火) 23時20分

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東北師範大学アジア文明研究院の趙軼峰教授は西洋では「論理的理性」が、中国では「歴史的理性」が発達したと紹介した。古代中国で卓越した「歴史的理性」を示した代表的人物の一人が孔子という。

ドイツの哲学者、精神科医だったカール・ヤスパース(1883-1969年)は、紀元前500年ごろを中心とする時期を人類史の「枢軸時代」と読んだ。中国では諸子百家が活躍し、インドではウパニシャッド哲学や仏教などが成立し、パレスチナでは何人かの預言者が神の教えを説き、ギリシャでは哲学者が輩出して、世界各地で後の時代に続く哲学や思想、宗教の「軸」が形成された時代だからだ。

現在の世界に特に強い影響を及ぼしているのは、古代ギリシャに登場した哲学と考えてよいだろう。なぜなら、ギリシャ哲学は人の「論理的理性」を重視し、そのことが科学技術文明の源となったと考えられるからだ。しかし現代文明の発達は、人類を取り巻く環境に悪影響を与えることにもつながった。中国の東北師範大学アジア文明研究院の趙軼峰教授はこのほど、中国メディアの中国新聞社に対して、西洋式の「論理的理性」だけでなく、中国が生み出した「歴史的理性」も有効活用すべきだと主張する文章を寄稿した。以下は趙教授の文章を整理して再構成したものだ。

西洋では歴史学が長期にわたって未成熟だった

枢軸時代は、人類にとって「理性の目覚めの時」だったと言える。世界のあちこちで登場した理性の形態には違いがあった。中国の歴史家である劉家和氏(1928年生まれ)は、西洋の考え方には「論理的理性」の側面が際立ち、中国では「歴史的理性」の性格が濃厚と指摘した。「論理的理性」は、論理を用いて物事の本質に迫ることを重視する。「歴史的理性」は、過去の経験を通じて物事を判断することを強く意識する。

中国では、歴史の記録と編さんが極めて重視された。歴史は早くから成熟した学問に発展して、歴史家も早くから職業化した。西洋では長年にわたり、歴史の記録はアマチュアの仕事であり、歴史学は学問として成立しなかった。米国人歴史哲学者のヘイデン・ホワイト(1928-2018年)は、「19世紀初頭まで、歴史は誰でも書くことができるものだった」と指摘した。これは、西洋の状況を念頭に置いた言葉だ。

中国では孔子(紀元前552年ごろ-同479年)が、当時すでに存在していた歴史書を整理し、個人の倫理や政治理念、歴史解釈を融合させた。史記を著した司馬遷(紀元前145?―同87年?)は、孔子の後継者と言える。中国では歴史上の事例を用いて現在の物事を判断し、評価し、道理を説くことが定着した。

西洋でも歴史考察はあったが、「論理的理性」が主導的地位を占めていた。英国人歴史哲学者のロビン・コリンウッド(1889-1943年)は、欧州のギリシャ・ローマ時代には「本質主義」の傾向があり、「本質主義」は「反歴史的」だと主張した。

西洋では中世になり歴史学が神学に支配されたことも、歴史学の確立を阻害した。宗教の力が弱くなると、歴史学は科学に従属させられることになった。

孔子博物館

「論理的理性」は人類に大きな恩恵を与え、次に災いをもたらした

極端な科学主義化は、西洋において19世紀の歴史学の上げた主要な成果の源泉であり、その限界をもたらした要因でもあった。西洋の歴史学理論界では20世紀になると、19世紀の歴史学に対する厳しい批判が多くなった。このような批判は本来ならば合理的なのだが、その後は行き過ぎの状態になってしまった。

例えば、いわゆる「ポストモダニズム」史学理論は、歴史の客観性を認めず、歴史認知の可能性にも疑念を抱くことが多く、歴史学に「言語学的転向」が起きたと宣言した。すなわち、経験的事実に関する研究から、歴史家の筆記とその言説戦略に関する研究へと「転向」した。西洋ではその後も歴史学における「転向」が相次いだ。西洋の歴史学は、長期にわたって他の分野の従属物であり、歴史理性は十分に確立されなかったと言ってよい。

西洋で重視された「論理的理性」が人類文明史において卓越した貢献をしたことは事実だ。機械文明を導き出したのも「論理的理性」だ。全人類は機械文明の恩恵を受けることになった。ただし、人と自然の関係についての錯覚ももたらされた。工業文明が発達すると、人々は経済発展の重要性を過度に強調するようになり、一方的では自然を「征服の対象」と考えるようになった。人類の活動で変化した環境が、人類の生存を脅かすようになり、人々はようやく、現状の世界観の限界に気づいた。

「論理的理性」に全面依存することの大きな問題点は、「論理に基づいて出した結論なのだから、必ず正しく、必ず善だ」と考えがちなことだ。そのため、機械文明も工業化でも、とにかく拡大することを志向しがちになる。しかし、人類が生きる地球は無限ではない。

「論理的理性」にも「歴史的理性」にも長所と短所がある

人類が置かれた現在の苦境に対応するには、考え方を少し拡張し、特に「歴史的理性」がどのような示唆を提供できるかを真剣に考えなければならない。

古い時代の中国には、形式論理思想が完備されておらず、歴史経験の中で社会を運営する法則を探す傾向が強かった。中国哲学には「人は地にのっとり、地は天にのっとり、天は自然にのっとる」と言う教えがあり、さらに「天人合一」、すなわち自然と人は不可分と考えられた。中国では、そのような状況は論理によって証明することはできないが、長期にわたる歴史の経験から得られた法則であり、その法則に反する行いをすれば災いがもたらされると考えられた。

中国哲学の考え方は現在人が共用すべき価値観や生存態度として、近代以来の猛烈な発展主義がもたらした弊害を軽減して、均衡ある世界を形成するために有益と思える。英国人生化学学者であり科学史家のジョゼフ・ニーダム(1900-1995年)も、機械論的世界観がその役割を果たした後、人類は有機論的世界観の時代に入ったとの考えを示した。

私はもちろん、「歴史的理性」一辺倒になるべきと主張するのではない。論理的理性にも歴史的理性にも長所と短所があり、どちらか一方を捨てれば極端に走る可能性がある。まずは先入観のない立場で人類の運命を考える必要がある。その際には、「論理的理性」と「歴史的理性」の均衡が保たれることが望ましい。(構成/如月隼人

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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