処理水の海洋放出、中国本土とは一線画す香港市民

野上和月    2023年8月30日(水) 20時0分

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日本国総領事館がある地域では排水処理に対する抗議デモが繰り返されたが、寿司屋や日本食の食べ放題の店では入店待ちの列ができるなど、親日で日本食好きが多い香港では、処理水放出後の市民の反応はまちまちだ。

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東京電力福島第一原発のALPS処理水の海への放出が始まったのを受けて、香港政府は同日から、福島など10都県の水産物を禁輸した。在香港日本国総領事館がある地域では排水処理に対する抗議デモが繰り返されたが、寿司屋や日本食の食べ放題の店では入店待ちの列ができるなど、親日で日本食好きが多い香港では、処理水放出後の市民の反応はまちまちだ。

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放出が始まった8月24日。香港政府は"予告"通り、「香港の食品の安全と公衆衛生を守るため」として、福島をはじめ、東京、宮城、茨城、栃木、群馬、埼玉、千葉、新潟、長野の冷蔵・冷凍・乾燥の水産物や海塩、海藻などの輸入を禁止した。対象は、缶詰や一夜干しなどの加工品も含む、収穫・製造・加工・保存された水産物で、商業目的の輸入品だ。代理購入や再販も禁止だが、日本からお土産として持ち帰り、自分用や親戚、友人などに無料で贈る場合は制限されない。ただし、禁止対象の水産物には放射線リスクがあるため推奨はしないとしている。違反者には10万香港ドル(約186万円)の罰金と禁固12カ月を科す。

香港人は、日本旅行を「故郷に帰る」と言うほど大の日本好きだ。一昔前までは生ものや冷えたご飯を口にしなかったが、今ではお刺身やお寿司が大好物だ。コロナ禍で日本に行けなくなると、日本製品があふれる「ドン・キホーテ」や回転寿司のスシローは日本気分を味わおうという香港人でにぎわった。ここ数年は、市民の間で「OMAKASE(おまかせ)」という日本語が浸透し、シェフが新鮮な食材を使って腕を振るうコースが人気メニューとして定着。4000店もの日本食店がひしめき、日本から香港への水産物の輸出額は昨年、755億円に上り、871億円の中国に次ぎ2番目だった。

そんな香港だが、政府は7月、日本が処理水を放出したら10都県の水産物の輸入を禁止すると"予告"し、当時の中国政府の規制に追随する姿勢を見せた。地元メディアは、放出前から売り上げが落ち込み始めた日本食店や、仕入先を日本国内の10都県以外や他国に移して対策を講じる日本食店の様子を伝えた。さらに、放出措置や安全性を疑問視する専門家の声や、「たとえ食材が日本産以外でも、しばらくは日本食を控える」「日本には旅行に行かない」「日本旅行中は水産物を食べない」「日本でお土産を買わない」といった市民の声を盛んに報じた。日本国総領事館がある地域では小規模だが抗議デモも行われ、日本食は相当な逆風を受けると懸念された。

しかしふたを開けると、放出後も抗議活動が行われる一方で、スシローは入店待ちの客が列を作った。週末に寿司も刺身も食べ放題の日本食レストランに行った友人親子は、「350席あるのに満席で、次の時間帯を待つ客もいて驚いた」という。他にも、「香港島の寿司屋に入ったら香港人客も多く来ていた」という状況だ。

処理水放出後の週末、香港人客でにぎわう食べ放題の日本食レストラン

2020年に施行された香港国家安全維持法を機に中国の支配が進む香港だが、市民レベルでは、処理水の海洋放出に反対する声はあっても、日本の関係機関や店舗などに嫌がらせ電話などをかけて抗議する中国本土とは真逆の光景が広がっているのだ。

こうした香港市民の行動は「科学的な安全基準を満たすなら大丈夫だろう」ということと、「香港政府が検査して問題がないなら食べても大丈夫だろう」ということが、冷静に対応する判断材料になっているのだと思う。

香港政府の食の安全に対する監視や検査への市民の評価と信頼度は高い。これまでも中国本土からの物も含めて、輸入品から有害物質が検出されると輸入を禁じて市民に注意を喚起してきた。今回は、日本から輸入された食品サンプルの放射線量検査を強化し、その結果を関係部門のサイトで毎日公表している。香港水域の環境放射線レベル、地元の水産物の放射線量の監視も強化した。

一方、市民も、命や健康に対する自己防衛と自己責任の意識がとても強い。英国統治時代の香港政庁は自由放任主義だったため、自分の身は自分で守らなければならなかったからだ。さらに言えば、1970年代から折に触れて日本文化に触れてきた社会でもある。

処理水について説明したり、「安全を示す科学的データがあるなら大丈夫」とか、「香港で食べられないなら、日本に行って食べればいい」という香港人のコメントを紹介したりしているネットニュースもある。

香港人の友人らは今の日本食離れについて、「香港人は忘れっぽい。しばらく日本の魚を食べない人が増えるだろうが、3~6カ月もすれば忘れて、また日本食を食べ始める」と見ているが、「しばらくは状況を見極めたい」という逆風が吹き続けることは確かだ。

友人の一人からは、海洋放出について「なぜ日本は処理水を海に流したのか?安全なら、琵琶湖や河口湖など国内に放出するのが先ではないか?一国の問題解決のために、なぜ世界が30年も続く前例のない処理水の放出リスクを一から背負わなければならないのか?」と問いかけられた。

SARS(重症急性呼吸器症候群)や新型コロナウイルス(COVID-19)の流行で命や健康に対する意識が一段と高まった世界の人々に、処理水を海に放出する前、日本政府はどこまで納得してもらえる説明や行動をしたのだろう。交渉の当事者たちは、日本人の底辺にある「困った時はお互いさま」という精神は世界共通で、安全のための科学的根拠さえ示せば世界が一つになって、助け合い、協力し合うと思い込んだのではないか――。そんな思いが頭をよぎった。

話を日本の水産物に戻すと、香港でも楽観はできない。マイナス影響が長引けば日本食店は半減するとの予測もある。中国本土のように全面禁輸を求める声も出てきた。9月に迎える中秋節では、贈り物として好まれている日本の果物の売れ行きを懸念する向きもある。ある日本食店の経営者は、「今は大きな影響は出ていないが、今後はわからない」と先行きに警戒感を示す。

香港に限っていえば、日本食、ひいては日本の農水産物への信頼を取り戻すためにも、放出処理に関する迅速で透明な情報提供と、誠実で地道な対応が日本に求められている。


処理水の海洋放出を批判する地元紙

■筆者プロフィール:野上和月

1995年から香港在住。日本で産業経済紙記者、香港で在港邦人向け出版社の副編集長を経て、金融機関に勤務。1987年に中国と香港を旅行し、西洋文化と中国文化が共存する香港の魅力に取りつかれ、中国返還を見たくて来港した。新聞や雑誌に香港に関するコラムを執筆。読売新聞の衛星版(アジア圏向け紙面)では約20年間、写真付きコラムを掲載した。2022年に電子書籍「香港街角ノート 日常から見つめた返還後25年の記録」(幻冬舎ルネッサンス刊)を出版。

ブログ:香港時間
インスタグラム:香港悠悠(ユーザー名)fudaole89

※本コラムは筆者の個人的見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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