中国武術とは何なのか、普及の現状はどうなのか―専門家3人が解説

中国新聞社    2023年8月7日(月) 16時30分

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中国武術の普及を研究する馬秀傑博士、太極拳などで国家級コーチを務める喻波氏、中国式キックボクシングとも呼ばれる散打(サンダー)の国家級コーチの王祥権氏が、中国武術について説明した。

新型ウイルス感染症のために延期された2021年夏季ワールドユニバーシティゲームズが、四川省成都市で7月23日から8月8日まで開催された(成都ユニバ)。この大会では中国の武術(ウーシュー)が実施競技に採用された。日本では「武術太極拳」の名で紹介されたが、実際には太極拳だけでなく幅広い分野が取り入れられた。中国メディアの中国新聞社は成都ユニバで武術が採用されたことをきっかけに、中国武術の普及を研究する馬秀傑博士、太極拳などで国家級コーチを務める喻波氏、中国式キックボクシングとも呼ばれる散打(サンダー)の国家級コーチの王祥権氏に、中国武術についてさまざまな質問をぶつけた。以下は記者の質問と前記3氏による回答の要約だ。

●武術とは何なのか。いつ始まり、どのような変遷をたどったのか?

馬:中華武術は、中華民族の祖先が生存を賭けて獣と格闘する狩猟の技として発生した。戦国時代までには、儀式の際に「武舞」という演目が取り入れられていた。これは、武術のパターン化の初期の萌芽(ほうが)だ。

「武術」という言葉はまだ使われていなかったが、「射と御」、「舞象」、「隆技撃」などの個別の技があり、実質的には武術が誕生していた。正史としての「三国志」を編纂した陳寿は、その「劉封伝」の中で初めて「武芸」という言葉を使った。この「武芸」は剣術や弓術、格闘技などを含んでいた。「武術」という呼称が使われたのは南北朝時代で、南朝の梁の昭明太子による「文選」に「武術」という言葉が登場する。この場合の「武術」は主に、実際の戦争における戦いの技術を指す。

その後、「武術」は文献にはあまり出てこなくなり、宋代から元代にかけては「十八般武芸」という言葉が登場した。この「武芸」は主に武具を用いるもので、この時代に武具の種類が豊富になっていたことを物語る。「武術」の呼称は1912年に成立した中華民国の初期に復活して、その後定着したものだ。

20世紀初頭には西洋からスポーツという概念が中国に伝わり、「武術」はスポーツとして認知されるようになった。つまり、武術がもつ人体の運働の技術的な面に注目して、武術をスポーツの一種と考えたわけだ。ただし一部の専門家は、武術の「攻撃と防御」の側面を語らないことは武術を否定することであり、武術は根本的な属性を失うと主張した。

中国武術協会の元主席である徐才氏は、「武術は哲学、倫理学、美学、医学などの多岐に渡る内容が含まれている。この点でアジアの伝統的スポーツ競技や西洋のスポーツとは大きく異なる」と指摘した。

●成都ユニバでは、武術の競技で20個の金メダルが生まれた。どのような特徴があったのか?

喩:成都ユニバの武術競技では南拳、長拳、太極拳など中国の主要武術が取り上げられた。うち男子南拳、女子南刀は同じ南拳の系列だ。南拳系列の最大の特徴は、足取りがしっかりしていて、剛猛で力強く、動きが迅速で緊張していることだ。南拳では「気合の声」を出す。声で「気」を発生させ、「気」を力に転じる方法だ。

長拳系列の武術には拳術、刀術、剣術、槍術などがある。最大の特徴は伸びやかさや奔放で、スマートさでひょうひょうとしている。太極拳系列は中国内外の人々が最もよく知る中国武術で、柔らかくて伸びやかで、平穏で一貫していて、自由闊達(かったつ)という特徴がある。太極拳に初めて触れる人は、軽くてしなやかな動きなので、まるで踊っているかのように感じるかもしれない。しかし太極拳は決してダンスではなく、拳理の一種の至高の境地だ。私の師匠はよく「太極拳では身を静かに処して脱力する。下半身は足を地に根付かる。攻守は心中にとどめて外には出さない。静なること病の猫のごとし、動なること虎のごとし」と言っていた。

王:散打は中国古代武術の素手で戦うさまざまな格闘形式から発展してきたものだ。蹴る、打つ、投げるなどの攻めがあり、守りの技術も伴う。また、現代スポーツの種目としても成立させられる。

他の武術と比べて、散打は近現代的種目としては出遅れた。中国国内で試験種目として採用されたのは1979年3月で、1989年の「武術散手の試合管理を強化することに関する通知」によって試合規則などが整備され始めた。その後、正式な全国大会が開催され、試合規則も確定された。

●中国発の武術はどのように世界に進出してきたのか?

馬:中国の武術は古い時代から日本や朝鮮、東南アジアに伝わった。具体的に言えば、早くも漢代に、中国文化はさまざまな方式で日本に伝わった。中華武術も日本に伝わり深い影響を与えた。明人の陳元は戦乱を避けるために日本に渡り、中国武術を日本の武士に伝授した。日本の武士は、陳元に鍛えてもらった拳法を改革し、最終的に柔道を創始した。日本の空手の起源も、中国の影響を強く受けた琉球空手道が基礎になって日本全国に広まったものだ。

現代における中国武術の伝播については、映画やテレビの影響も大きい。特にブルース・リーが巻き起こした世界的な「カンフーブーム」だ。そして2022年にはフランス、ハイチ、サウジの3国武術協会が正式に国際武術連盟に加盟したことで、国際武術連盟の会員協会の数は158に達した。

●中国武術には国による違いがあるか? 五輪競技に採用されるのはいつごろか?

馬:東西の武術に対する定義は現在のところ同じではない。武術は西洋に伝わった後に「翻訳」されたので、東西で異なる中国の武術文化の認識が生まれた。

1970年代には、主にブルース・リーの個人的な魅力とカンフー映画のヒットにより、英語の辞書にKungfu(カンフー)という単語が追加された。しかし正確に言えば、この「カンフー」は主にブルース・リーに代表される流派の武術を指す。また、中国の太極拳は海外での影響が大きくなった。調査してみたところ、西洋では多くの人が太極拳を一つの武術に分類し、残りの武術はすべて「中国の伝統武術」と見なしていることが分かった。

中華武術には100種類以上の種類があり、国や地域によって民衆が学ぶ武術の種類も異なる。先進国の大部分で学習者が最も多い中国武術は太極拳だが、ドイツでは詠春拳を学ぶ人が多い。詠春拳葉問派の宗師である葉問の高弟の梁挺がドイツに渡って普及に努めたからだ。タイやマレーシアでは散打の中国南部の流派を学ぶ人が多い。現地の華僑や華人の多くが中国南部出身であるためだ。

中国武術は中国で生まれたが、世界のものだ。外国にも、中国武術を普及させようと努力している人がいる。世界の主要なスポーツ大会が、中国武術を何らかの形で受け入れることも増えている。私自身、中華の優れた伝統文化である武術を世界に広めたいと願っている。

ただし、武術が五輪の正式種目に採用されるまでの道のりは長い。国際五輪委員会(IOC)が五輪大会の「スリム化」を進めているからだ。1種目が採用されれば、他の1種目が「退場」させられることになる。

また、中国武術を五輪に進出させるためには、どのような形式にするかを考えねばならない。2008年の夏季五輪大会時に模索した結果では、武術の型などを演技する形での五輪入りは難しいと分かった。ならば、試合形式しか残っていないことになる。ということで、われわれはどのような試合形式が中国武術の奥深さを伝え、また、中国の儀礼文化や倫理文化を表現できるかについて、じっくりと考えねばならない。時間と努力を要する作業が必要ということになる。(構成 / 如月隼人

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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