<日本人の忘れられない中国>抗日ドラマはフィクションではなかったのか……私はその場から逃げ出したかった

日本僑報社    2023年7月8日(土) 12時0分

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「人と人の間に国境は無いんだよ」。私が物心ついた頃から、口癖のように祖父は言っている。

「日本と中国は戦争をしていたのに、日本人の自分を育ててくれた中国人がいたんだよ。人と人の間に国境は無いんだよ」。私が物心ついた頃から、口癖のように祖父は言っている。たどたどしい日本語で……。

82歳の祖父は、満蒙開拓移民として中国の東北に渡った曾祖父母の元に生まれ、5歳の時、中国残留孤児となった。その祖父を引き取り、大事に育ててくれた中国人の養父がいたのだという。私が、祖父のこの境遇と口癖の意味を理解できるようになったのは、ある出来事がきっかけだった。

小学生の時、母の中国留学に伴い、私も北京で3年間暮らすことになった。北京の現地校へ通っていた私は、初めのうちは中国語に苦しんだが、多くの先生に支えられ、すぐに仲良しの友人ができ、充実した日々を過ごしていた。

中国での滞在生活が1年を過ぎた頃のある日の国語の授業のことだった。授業が始まり、教科書のページをめくると、「小英雄」というタイトルと共に、奇妙な挿絵が目に飛び込んできた。赤いチョッキを着た少年が、右手に槍を持ち、大きな岩の上に立っている。そして、その岩の少し下の方には、緑の帽子と服を身につけた兵隊らしき大人が5人。みな少年の方に槍を向けている。

少年に一番近い人の槍の先には、白い旗のような物がぶら下がっている。その旗の真ん中に、赤い丸が岩に隠れて半分だけ見えている。挿絵が何を表そうとしているのか、この時の私にはまだわからなかった。国語の賈先生はいつものように、しっかり聞くように、と指示を出してから、ゆっくりと朗読を始めた。

「9月16日の朝、山に沿って攻めていた日本軍が、村に迫っていました。13歳の少年が村への案内を頼まれましたが、危険を察し、軍を袋小路へと誘導しました……」。いつもは優しい賈先生の朗読の声が、暗くくぐもった。「……少年は殺されました。寒い山の中、村人を守った少年の血は滴り、青い空を紅に染めました……」

教室の中はいつもより静まり返っていた。私は、頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。そして、中国に来てから理解できなかった奇妙な断片的なシーンが、スライドショーのように、次から次へと頭の中を駆け巡った。

「手心手背(手の平・手の甲)、狼心狗肺(狼の心・犬の肺)!日本投降、中国万歳!」のチーム分け(日本でいう「グー」と「パー」によるチーム分け)の掛け声は、単なる語呂合わせではなかったのか。テレビで偶然見た抗日ドラマは、フィクションではなかったということなのか……。

点と点が繋がって線となっていくように、今まで理解できなかった数々のシーンが繋がって、一本の大きな矢となって私の心に深く突き刺さる。急に怖くなった。日本人である自分が、責められているような気がした。

「戦争の話なんて嫌だ。早く終わってくれ!」。早くその場から逃げ出したかった。教室を飛び出して、誰もいない所へ行きたかった。「早く終わってくれ!早く終わってくれ!」。必死に祈った。中国に来てから、40分間の授業がこんなに長く感じたことは、初めてだった。

ようやく授業の終わりのチャイムが鳴った。しかし、私は動けなかった。あんなに教室から逃げ出したかったのに、動けなかった。「もう誰も、一緒に遊んでくれないかもしれない……」。しばらくして、「卓球やりに行こう!」という、仲良しの李君の声が聞こえた。おそるおそる顔を上げると、そこには、いつもと変わらない笑顔があった。その横には、付君もいた。ふたりの後ろには、馬ちゃんや王ちゃんや、他にも大勢のクラスメイトがいた。

「人と人の間に国境は無い」。この時、ふと祖父の口癖が浮かんだ。そして、戦争について何も知らなかった自分が恥ずかしくなり、腹が立った。私は、私が生まれる前にあった戦争が憎い。中国の仲間たちとの仲を邪魔しようとする戦争が憎い。中国の多くの人々の命を奪った戦争が憎い。祖父を酷い目に合わせた戦争が憎い。憎くて、憎くて仕方がない。でも、その憎い戦争を無かったことにすることもできない。「じゃあ、どうすればいい?」「じゃあ、私は何をすべきなのか?」と、この出来事以来ずっと考え、もがいている自分がいる。

中国の親友たちとは、今も電話やメールで頻繁にやり取りをしている。李君は大学に合格してから、日本に遊びに来てくれた。これからも、私に大切なことを教えてくれた友との絆を大事にしていきたい。今、私の通う大学のキャンパスには、多くの留学生がいる。私は、自分が中国に留学していた時にしてもらったように、積極的に彼らの生活や学習のサポートをしている。彼らを通して、中国で関わった先生や級友に恩返しができたらと思う。

いつしか、「日本と中国」が私の人生のテーマとなっている。自分の一生をかけて、日中両国の平和に貢献したい。そして、次の世代に、自分の体験と共に祖父の口癖を伝えていきたい。

■原題:人と人の間に国境は無い

■執筆者プロフィール:大橋 遼太郎(おおはし りょうたろう)

1999年、長野県生まれ。東京理科大学工学部機械工学科四年生。2007~2010年、中国・北京に滞在し、現地の小学校で学ぶ。中国での滞在を機に、中国残留孤児であった祖父の境遇や自らのルーツを知る。これまで、主に中国滞在中の出来事を「毎日小学生新聞」に連載し、日中両国の相互理解に努めてきた。現在は、同じキャンパスに通う留学生との交流会の企画や、生活・学習のサポートに尽力している。

※本文は、第5回忘れられない中国滞在エピソード「驚きの連続だった中国滞在」(段躍中編、日本僑報社、2022年)より転載したものです。文中の表現は基本的に原文のまま記載しています。なお、作文は日本僑報社の許可を得て掲載しています。


※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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