「中国のおばさん」はなぜ席を奪い合うのか?社会保障の未熟さが産んだシンボル―中国紙

Record China    2014年7月23日(水) 8時1分

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22日、「dama(中国のおばさん)」という新語が昨年オックスフォード英語辞典に新しく仲間入りした。これによって人々は、「中国社会にまたひとつ、特定の階層が誕生した」という認識を持った。資料写真。

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2014年7月22日、「dama(大[女馬]=中国のおばさん)」という新語が昨年オックスフォード英語辞典に新しく仲間入りした。これによって人々は、「中国社会にまたひとつ、特定の階層が誕生した」という認識を持った。瀋陽日報が伝えた。

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マスメディアが作り上げた一般的な「おばさん」のイメージには、▽国内外の各大都市の広場を占領し、曲に合わせて楽しそうに舞う▽海外の高級マーケットと近所のスーパーのどちらにも出入りして、日替わり特価の卵を買うスピードでルイ・ヴィトンのバッグを手に入れる。また、ルイ・ヴィトンを選ぶのと同じ情熱と慎重さで卵を選ぶ▽朝夕のラッシュ時の路線バスに乗り込み、他の乗客の頭上で野菜の食べられる部分を選り分ける、他人を押しのけて席を取り、他人と口げんかする――などがある。

人は誰でも、「レッテル貼り」が大好きだ。レッテルがあれば、簡単に分類することができるし、価値判断をスムーズに行う上でも役に立つ。「中国のおばさん」を例にとると、「年齢は55歳から65歳、かつては仕事をしていたが今は退職している。もはや生活のために髪を振り乱して奮闘する必要はない。ある程度の購買力を持っているが、昔ながらの節約習慣が今もしみついて離れない。マスメディア上では発言権を持っていない。話題に上る確率は非常に高い」などのイメージがついて回る。そんなことから、上流を自認する人々は、彼女らのことを「手におえない相手」だと認識し、「中国のおばさん」が苦手なキーボードを使って、彼女らについてあれこれ考察している。

我々の母親も、「中国のおばさん」の部類に入るかもれない。「中国のおばさん」というレッテル貼りをする時、読者は母親のことを思い浮かべるだろうか?確かに、広場で踊る行為は、周辺住民に迷惑がかかる可能性がある。バスの中で野菜の食べられる部分を選り分ける行為は、他の乗客の迷惑となり得る。公共の資源である「席」の奪い合いをすると、秩序正しい人たちのひんしゅくを買うだろう。だが、自分の良心に今一度聞いてみて欲しい。国家でさえも、「子供は頻繁に実家に帰って親の面倒を見ること」を法律で義務付けているというのに、我々自身は、思いやりの心を持って年長者に接しているだろうか?「外に出て広場舞をしてはいけないのなら、家で一体何をすれば良いの?」「特売の卵を買うために並ぶのは、子供のために少しでも節約するためではないの?」といった、一部の「中国のおばさん」の言い分は、至極もっともではないだろうか。

「中国のおばさん」のさまざまな行為について、冷静な気持ちで、大きな視野から考えてみると、異なった結論が得られるかもしれない。混み合った路線バスや広場舞の騒々しさは、社会資源や公共サービスをめぐる「関連部門」の至らなさによるものではないだろうか。特売の卵の奪い合いや何とか得しようという態度は、中国における養老制度の不備を反映しているのではないのか。年金の交付水準を示す「所得代替率」が低いと「専門家」は口を揃えるが、本当に実益を得られるのは年金保険を納付していない人々だけだ。一生身を粉にして働いた揚句、ほんのわずかの「基礎年金」を頼りに細々と生計を立てている身としては、1円でも安いものを買いに走りまわるのは当然ではないだろうか。

客観的に見ると、これらの問題を解決するには、いくつかの段階を経る必要がある。ただ、まずすべきことは、病巣から眼をそらさず、ちゃんと正視することだ。その上で、解決方法を探っていかなければならない。「中国のおばさん」のレッテル化に続いて、10年前の「1980年代生まれ」や現在の「1990年代生まれ」についても、「堕落世代」というレッテルが貼られ、上の年代の人が若い人について話す際の慣用語になっている。この行為こそが、個別事象を一般化する「レッテル化」だ。だが、高度な文明をもつ社会において、さまざまなグループは互いに尊重し合い、「違いは違いとして残しておき、共通点を得るべく努力する」姿勢を持つべきである。ある特定のグループの問題がかなり深刻な場合、ある社会資源をさまざまな年齢グループに配分する際に、何らかの不平等が発生するが、そのような事象について、「特定のグループに問題が生じた」と言うことはできない。これは、制度上の責任と社会の民衆全体の道徳問題を、発言権を持っていないグループに押し付けた結果といえよう。

今の社会のさまざまな問題を解決する上で、その原因や責任を特定のグループに押し付ける必要はない。「中国のおばさん」を真正面から捉え、背景にある社会制度や計画をじっくりと読み解くことは、「ツッコミを入れる」より、見えてくるものがずっと多い。というのも、どの家庭にも、「中国のおばさん」は存在しており、我々自身も、次に「レッテル化」されるグループに入る可能性があるからだ。「中国のおばさん」をレッテル化する一方で、我々自身もレッテル化されようとしている、あるいはすでにレッテル化されていないか、考えるべきではないだろうか。「中国のおばさん」は、社会資源や公共サービスの不備を誤魔化すための存在ではなく、元気が回復し、意識が目覚めるような脳の特効薬であり、我々の「傍観癖」を治してしてくれる存在なのだ。(提供/人民網日本語版・翻訳/KM・編集/武藤)

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