88年前にロンドンで開催された中国文化展で現地に中国ブーム―故宮関係者が解説

中国新聞社    2023年4月26日(水) 0時0分

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1935年に英国ロンドンで中国の歴史的美術工芸品を紹介する特別展が開催され、欧州で「中国ブーム」が発生した。写真は会場になったバーリントン・ハウスの建物一部。

明朝と清朝を通じて皇帝の居城であり中国の政治の中心だった紫禁城が博物館になったのは1925年だった。故宮博物院の設立だ。それから10年後の1935年、現在から見れば88年前に、英国のロンドン市内で故宮博物院の収蔵品を中心とする美術品や文化財を集めた特別展覧会が開催された。見学者は中国の美術工芸品に大きな衝撃を受けた。欧州のファッション界では中国ブームが出現した。故宮博物院故宮学研究所に勤務し、主に故宮博物院史と近代中国博物館史の研究に従事する徐婉玲博士はこのほど、1935年にロンドンで開催された中国関連の特別展覧会を紹介する文章を中国メディアの中国新聞社に寄稿した。以下は徐博士の文章に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。

中国の陶磁器を評価する英国人が積極的に働きかけ

故宮博物院は、明朝や清朝時代から受け継がれてきた文化財を所蔵するだけでなく、それ以外の文化財の収集にも努めてきた。また、文化財関連交流や交換展示、共同保護プロジェクト、共同考古学調査などを通じて世界と対話し、さまざまな国や地域の人々に「中華の美」を知ってもらう仕事に取り組んできた。

今では知る人も少ないが、88年前にロンドンで開催されたロイヤルアカデミー中国美術展は欧州に強い影響を与えた。ファッション界では「中国ブーム」が発生した。この美術展が実現した発端は、中国製陶磁器の著名なコレクターだった英国人のサー・パーシバル・デイビッドが1925年に故宮博物院が一般公開された際に、北京を訪れて展示を見学したことだった。

デイビッドは1927年7月に故宮博物館に対して行った寄付は、景陽宮磁器陳列室の改造に役立てられた。故宮博物院は同年8月にデイビッドを顧問として迎えた。デイビッドはこのことで、故宮博物院の文化財登録や展覧企画に参加する機会を得た。デイビッドは1931年には、ロンドン大学アジア・アフリカ学部に中国芸術・考古学委員会を設立した。中国芸術の国際的展覧会を開催するというデイヴィッドの構想は英国の中国学界に浸透していった。

デイビッドは1934年2月、他のコレクター数人と「ロンドン中国芸術国際展覧会覚書」に署名して、当時の中国国民政府に届ける手配をした。覚書には、ロンドンでの展覧会で期待できる効果として、中国芸術の国際的展覧会の開催が国際政治交流の促進、中国の文化イメージ向上、商業経済の発展の改善と密接な関係があるなどと詳しく論じられていた。また、故宮博物院の歴代収蔵品や中国の近年の考古学発掘品を英国に持ち出して展覧会を開催することも提唱されていた。

故宮博物院は1934年9月に、所蔵品の中で中国を代表するにふさわしい価値がある品を選定した。ロンドンでは同年10月に展覧会の準備委員会が設立され、青銅器、磁器、書画などのいくつかの専門委員会も設けられた。そして、中国側専門家に出展文化財の基準の選定などを依頼した。準備は急ピッチで進んだ。

中国歴代の文化芸術の水準を示す最高の品を出展

準備委員会は出展文化財をロンドンに向けて船積みする前に、上海で予備展を開催した。この予備展では、殷代や周代の青銅器、宋代や元代の書画、明代や清代の磁器が整然と陳列された。青銅器は、当時の中国の主要な文化機関の最も重要な所蔵品をほぼ網羅した108点だった。うち、歴史的に伝えられてきたとされる品は96点で、12点は新たに出土したものだった。

磁器の出展品は、明代と清代に官窯で作られたもので、計352点の全てが故宮博物院の所蔵品だった。書画の出展品は各流派の重要作家の作品を可能な限り網羅するようにした。書画では故宮博物院だけでなく、中華民国初の国立博物館として北京市内に設立された古物陳列所の所蔵品も出展された。

上海での予備展の終了後、出展された文化財は英国政府が派遣した巡洋艦に積載されて1935年6月6日に上海を出発し、インド洋、紅海、スエズ運河、地中海を経由して、7月25日に英ポーツマス港に到着した。ロンドンでの特別展が始まったのは11月28日で、開催場所はバーリントン伯爵の旧邸であるバーリントン・ハウスだった。この展覧会では、清朝皇帝の玉座とその付属物が特に注目された。英国の専門家に評価され、一般見学者も注目した。英国各紙はこぞって報じた。

欧州ファッション界に中国ブームが到来、異文化に接すれば自らが変化する

この特別展はまた、欧州のファッション界に「中国ブーム」を巻き起こした。ボーグ(Vogue)誌は展覧会開幕直前の1935年10月30日号で、中国仏像の衣紋装飾や陶磁器の模様の色彩がファッションにもたらす影響を予測する記事を掲載した。展覧会が始まると、欧州のファッションデザイナーが展示品から創作のヒントを得ようと、次々に会場に足を運んだ。例えば、唐代の大理石の菩薩立像に着想を得て、春用のロングスカートがデザインされた。華美で洗練され、軽くてしなやかなロングスカートに、多くのデザイナーが改めて注目することになった。

欧州のファッション界に影響を与えたのは彫像や絵画だけではない。「書」の造形や黒と白のコントラストにヒントを得て、模様をプリントしたシルクのタイトスカートが発表された。当然ながら、中国画に描かれた人物の衣装や帽子にヒントを得た作品が大量に作られた。欧州では王室メンバーや貴族、その他の上流階級の人々の間で、中国的な要素をもつファッションアイテムを何か一つは身にまとうことが、地位の象徴でありファッションセンスを示すと見なされるようになった。

ロンドンでの中国展は、歴史に輝く国際的な文化イベントだった。英国ロイヤルアカデミーのサー・ウィリアム・ルウェリン学院長は、「これはもっとも素晴らしく、最も全面的な中国芸術展だ。中国では歴史上のそれぞれの時期に、各種の芸術が完成の域に達していたことが示された」と、展覧会と出展品を絶賛した。

展覧会とは、中立的な立場で作品を展示するものではない。どの作品を選び、どの様な配置で展示するかに主催側の判断と意図が示される。国際的な展覧会や歴史的作品の展覧会では、その傾向がさらに強まる。ロンドンでの中国展では、一貫した「レール」が敷かれていた。それは、中英双方の専門家が歴史の記憶と文化的認識の文脈を通して中国の芸術を評価し、解釈することを終着駅とする線路だった。それはまた、宮廷による芸術作品の収集が中華文化の発展の中で果たした役割りを明示し、実物の芸実作品によって、世界の文化芸術の評価における中華文明の地位を確立することでもあった。

故宮は明朝と清朝の紫禁城であった時代を含めれば600年以上の歴史を歩んできた。これらの歴史的経験を振り返ることは、人々が現在、中華文化の価値を掘り起こし、文明の交流と相互参照を推進し、異なる文明圏に暮らす人々の心のつながりを促進する上で重要な意義を持つ。(構成 / 如月隼人


※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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