日本でも著名な「孫子の兵法」の本質とは何か―専門家が「最古の竹簡」を巡って解説

中国新聞社    2023年4月2日(日) 23時0分

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「孫子の兵法」は日本でもよく知られており、各種解説書の出版点数も多い。孫子が説くことの本質とは何なのだろうか。写真は紀元前に書かれた「孫子兵法」の竹簡を所蔵する山東省臨沂市にある銀雀山漢墓博物館。

「孫子の兵法」は日本でもよく知られており、各種解説書の出版点数も多い。「孫子兵法」は軍事を説く書物ではあるが、その思想は「好戦的」とは正反対だ。例えば「百戦百勝、善の善なるものにあらず」、つまり「戦争に常に勝ったとしても、それは最善ではない」と断言している。孫子は戦争に頼らずに、外交や状況づくりで目的を達成することが最善と論じた。また、戦争の大きな害として、国の経済が疲弊すると指摘し、さらには軍が物資を大量調達すれば物価が高騰して、庶民が困窮することにまで言及している。歴史的な兵学の研究などをしてきた山東省臨沂市博物館の彭梅副館長はこのほど、中国メディアの中国新聞社の取材に応じて、孫子研究の歩みや孫子が現代社会に教えることなどを説明した。以下は彭副館長の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。

衝撃をもたらした紀元前に書写された「孫子兵法」の発見

山東省臨沂市にある銀雀山漢墓竹簡博物館は、漢代までに書かれた竹簡を多く所蔵している。その中でも「孫子兵法」はとりわけ重要な文化財だ。発見は偶然だった。地元政府の衛生部門が工事をしていたところ、漢代の墓2カ所を発見したのだ。1972年4月のことだった。連絡を受けた文化部門は考古学調査を行った。すると大量の竹簡が見つかった。極めて古い竹簡であるが大部分の文字は鮮明に読み取れた。

出土した竹簡はすぐに北京に送られた。中国国家文物局は竹簡の整理や解読、保護を行った。竹簡は計4974片で、1片の長さは27.6センチ、幅は0.5-0.9センチ、厚さは0.1-0.2センチだ。文字は筆を使って墨で書かれている。各竹簡の文字数は多少異なり、最も多いもので40字余りだ。書かれていたのは主に「孫子兵法」、「孫臏兵法」などの兵法書だ。

銀雀山の漢代の墓で出土した竹簡は、学術研究に極めて貴重な実物資料を提供した。例えば「孫子兵法」の起原の論争に終止符が打たれた。孫子とは孫武という人物を指すが、孫武の子孫と見られる孫臏という兵法家も存在する。かつては「孫武と孫臏は同一人物」、あるいは「『孫子兵法』を著したのは孫臏だ」といった説があった。このような説が登場した背景には「孫臏兵法」が2000年前に失われてしまったことがあった。しかし、銀雀山漢墓では「孫子兵法」と「孫臏兵法」が同じ墓から出土したことで、孫武と孫臏は別の人物であり、孫武が「孫子兵法」を、孫臏が「孫臏兵法」を著したことが確定的になった。

山東省臨沂市にある銀雀山漢墓博物館

「孫子兵法」にはさまざまな「版」が存在し、それぞれの「版」には異なる部分がある。かつては書籍を書写したので写し間違う場合があったからだ。さらに竹簡の時代には、基本的に竹簡1片に1行を書いて、それをひもでつづったわけだが、ひもが解けて再びつづった際に、竹簡の順番を間違えてしまうこともあった。

かつて存在が知られていた「孫子兵法」の写本は宋代(967-1279年)以降に書写されたものだった。銀雀山で出土した竹簡は書体などから、秦代(紀元前221年-同206年)から前漢の景帝の治世(紀元前157年-同141年)の間に書写されたとみられている。つまり従来より1000年以上古い写本の発見だった。誤写による間違いは、写本を重ねるとごとに増えこそすれ減ることはない。銀雀山で出土した竹簡は、「孫子兵法」の原初の記述に近づくために重要な役割を果たすことになった。

竹簡に書かれた「孫子兵法」の出土により、海外でも「孫子兵法」の研究ブームが発生した。銀雀山では国際学術シンポジウムも開かれ、中国以外の学者も加わって「孫子の兵法と経済発展の戦略」、「孫子の兵法の史学的価値」などを巡って議論した。


孫子は戦争について最大限の慎重さを求めた

「孫子兵法」の記述は中国人や中国社会に対してだけ意義を持つのではなく、世界に普遍的な影響を与えるものだ。孫子の軍事思想はそもそも、普遍性について考え抜かれている。文字にして残したのは、その普遍的な部分だ。だから孫子の思想は、自らが置かれた個別の状況を結び付けて考えねば、活用することはできない。逆に言えば、中国人でなくても自らの状況に照らし合わせて応用することが可能であるわけだ。

「孫子兵法」の冒頭に置かれた「計篇」は、全篇の要約だ。「計篇」の中でも冒頭に置かれた「兵は国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり」(軍事は国の一大事だ。人々の死生が決まる場であり、国家とって存亡へと分かれる道だ。慎重にならねばならない)」の一文は、孫子の思想の最も簡潔な要約だ。

この部分以外からも、孫子は国を安んじて民に利益を与えることを最優先せねばならないと考えていたことが分かる。だからこそ、軍事行動はむやみに起こしてはならず、慎重な上にも慎重にせねばならないと強調した。

「孫子兵法」の「謀攻篇」には、軍事行動ではなく知恵を駆使して相手に勝利することが強調されている。「勢篇」では将帥の能動性を十分に発揮し、有利な態勢を形成して勝利を収めることについて論じた。「地形篇」では「地形が行動の助けになる」との観点を提出した。孫子は「彼を知り己を知る」、「天を知り地を知る」が「完全勝利」に不可欠と説いた。最後の「用間篇」では、情報を先んじて入手することの重要性を論じた。

「戦争の芸術」の形容が内包する真の意味とは

孫子の理想を別の言葉で言えば「国を安んじ、軍を全うする」だ。実際に戦争になれば国の安全をどこまでも保てるかどうかは分からないし、仮に敵に圧勝したとしても、軍が全く無傷でいることは、ほとんど考えられない。だから戦争の抑止と平和の維持を強調したのだ。この思想には深淵な進歩的意義と方向性が込められている。


「孫子兵法」は文章としても美しく、リズム感にあふれている。到達した心境も美しいもので、論理の美しさもある。すなわち「孫子兵法」は知を求め、真実を求め、平和を求め、美を求める境地を具現化している。孫子の主張は「戦争の芸術」と言われることもあるが、単に戦争技術を説いたものではない。読者は「孫子兵法」を読み、その後に思索を巡らせてようやく、「戦争の芸術」という表現の真の意味を悟ることになる。

「孫子兵法」を研究すれば軍事の範囲をはるかに超えて、その真髄を企業管理やビジネス上の競争、スポーツなどに広く応用することができる。孫子の思想には普遍性があふれているからだ。まずは能動性を十分に発揮して有利な状況を構築して主導権を掌握する。チャンスがあれば着実につかんで、勢いに乗って動く。それらの大前提になるものが「知」であり、現実から出発して利益と損害を事前に十分に分析する。自信のない戦いはしてはならず、手を出す以上は勝算がなければならない。孫子の言う「完全勝利」とは直接対決による圧勝ではなく、戦わずして勝利して成果を得ることだ。これこそが孫子による「戦争の芸術」であるわけだ。(構成 / 如月隼人

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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