日清戦争で沈没の「靖遠」を水中調査、これまでの“定説”が覆される

Record China    2023年3月6日(月) 7時30分

拡大

2022年に実施された日清戦争中に撃沈された軍艦「靖遠」の調査では、これまで多くの人が信じてきた「説」には根拠がないことが示されたという。写真は「靖遠」の調査の様子と引き上げられた品。

山東省で1日、同省の2022年考古学五大考古学新発見についての成果評価が発表された。同省威海市沖合いで2022年8月から10月下旬に実施された日清戦争中に日本軍に撃沈された軍艦「靖遠」の調査では、これまで多くの人が信じてきた「説」には根拠がないことが示されたという。

「靖遠」は日清戦争中の1894年9月17日に日本海軍連合艦隊と清国海軍北洋艦隊の間で戦われた黄海海戦に、主力艦の一つとして参加して大きな損傷を受けたが沈没は免れた。その後は95年1月からの威海衛の戦いに参加して撃沈された。なお、「靖遠」の撃沈については、日本軍の攻撃で致命的な損傷を受けたために、敵の手に落ちることを避けるために、清国軍軍艦により撃沈されたとの説明もある。

中国ではこれまで、日清戦争の敗因について、清国上層部の無能と腐敗を強調する論調が一般的だった。北洋艦隊の惨敗についても、砲弾の中に火薬ではなく砂が詰められていたなどの説があった。1962年に公開されて評判になった日清戦争を扱った映画「甲午風雲」でも、清国軍艦の水兵が、砲弾の中に砂が詰められていることに気づき愕然とするシーンがある。

山東省水中考古学研究センター研究室の王沢氷主任によると、2022年の水中調査では遺物201点が引き上げられた。最も多かったのは銅製品で、船体の部材である鉄製品や木製品、靴の中敷きの革製品やゴム製品もあった。また弾薬類や磁器の洗面器、ボイラーの耐熱れんが、窓枠などは姉妹艦の「致遠」のものと一致していた。逆に言えば、調査した沈没船を「靖遠」と判断したのは、「致遠」との類似性が強かったからという。また、「靖遠」ではフランスのオチキス社製の37ミリ砲弾も中国国内で初めて発見された。


王主任は「靖遠」で見つかった砲弾について、これまで言われていたような砂などが詰められていたことはなかったと説明。むしろ、弾薬の多くは英国から直接に購入したもので、当時としてはかなり先進的なものだった。また、薬莢(やくきょう)が大量に発見されたことは、戦闘の過程で「靖遠」が頑強に応戦したことを示す証拠という。(翻訳・編集/如月隼人


※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

この記事のコメントを見る

ピックアップ



   

we`re

RecordChina

お問い合わせ

Record China・記事へのご意見・お問い合わせはこちら

お問い合わせ

業務提携

Record Chinaへの業務提携に関するお問い合わせはこちら

業務提携