南の海の木造沈没船が私たちに語ること―現場経験も豊かな専門家が紹介

中国新聞社    2023年2月26日(日) 23時0分

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中国とその周辺海域では、歴史的な沈没船の調査や引き上げが繰り返されている。発見された積み荷(写真)は、当時の海洋交易や国と国の関係を示す証拠品だ。

中国の周辺と東南アジアにかけての海域では、歴史的な沈没船の調査や引き上げが繰り返されている。海南省博物館文物考古研究部の賈賓副主任は、沈没船の調査や引き上げ、その積み荷の研究などに携わってきた専門家だ。賈副主任はこのほど、中国メディアの中国新聞社の取材に応じて、中国の水中考古学の状況や、達成された成果などを紹介した。以下は賈副主任の言葉に若干の説明内容を追加するなどで再構成したものだ。

沈没船で分かる往時の活発な海上交易

まず、中国が遠洋において初めて引き上げに成功した南宋(1127-1279年)時代の木造船である「華光礁1号」についてご紹介しよう。

「華光礁1号」は、1996年に西沙諸島の華光礁海域で発見されたことから命名された。まずは98-99年、2007-08年の2期にわたって水中考古学発掘調査が行われた。発見時の残長は20メートル、幅は約6メートルで、11の隔室が残っていた。船内には福建省や広東省、江西省などの多くの窯で作られた磁器が大量に存在した。いずれも民窯で作られたものと分かった。

「華光礁1号」で見つかった磁器とマレーシアやフィリピンなど東南アジア諸国で出土・出水した磁器を比較したところ、高い類似性が認められた。このことから、「華光礁1号」は中国の港で貨物を積み込み、海のシルクロードを経て最終的に商品を東南アジア諸国に輸送する商船だったと推定できる。

「華光礁1号」で見つかった磁器

「華光礁1号」は竜骨を持つ、船底がとがった形状の船だ。このような船底の船は波を切り裂くようにして進むので大波に比較的強く速度も出しやすい。つまり遠洋航行に有利だ。さらに水密の隔室が存在すれば、一部の船腹や船底が破損しても浮力が残るので、船が港までたどり着ける可能性が高まる。そうすれば積み荷も乗組員も失わずにすむ。つまり商売上のリスクが大きく低減する。これは古代中国の偉大な発明だ。「華光礁1号」は中国の古い時代の中国の造船技術が世界屈指だったことを改めて裏付けた。

「華光礁I号」の積み荷の多くは磁器だが、鉄器や陶器などもある。磁器の中には碗、大皿、小皿、壺、杯、甕(かめ)などがあった。数多くの産地のさまざまな種類の器物が1隻の商船に積み込まれていたことは、陶磁器の生産と輸出が盛んだった当時の中国の状況を示している。

それらの磁器を作った職人あるいは窯の関係者は、輸出品を生産するという自分の役割を理解していた。さらに、時代が下って明代(1368-1644年)の中期から末期にかけて沈没した「南澳Ⅰ号」には異国情緒にあふれた磁器が大量に積まれていた。つまり製品を単純に売るのではなく、「オーダーメード」方式の取り引きに進化していた。このことは、異なる文明圏が相互交流した必然的な結果だった。

引き上げ作業の次には、保存のために膨大な作業が必要

引き上げられた「華光礁I号」の船体と積み荷の保護プロジェクトを担当しているのは、海南省博物館出水文化財保護修復実験室だ。船体の保護と修復作業は引き上げ終了と同時に始まった。担当者は解体された船板の1枚1枚に番号をつけて記録した。木材は引き上げ後に、脱塩と脱硫、乾燥と分類の作業が必要だ。その上で、復元せねばならない。海南省博物館は武漢理工大学と協力して沈没船の復元案を共同で製作している。「華光礁I号」の真の姿を皆さんに披露できる日は、ひょっとしたらそう遠くはないかもしれない。

積み荷の磁器も手入れをせねばならない。海砂とサンゴのくずが混じった堆積層の上に散乱していたためで、一部の磁器は釉薬の表面がゆるくはげ落ちていた。保存のためには脱塩処理も必要だ。磁器には接着、補填、補強、着色の再現などの補修作業が必要だ。修復を終えて海南省博物館、中国(海南)南海博物館で展示されている磁器は、現在までに1万点近くに達した。

「華光礁1号」で見つかった磁器

南シナ海での沈没船は100隻以上が知られている。外国船は少なく、中国船が多い。これは、主に中国が航路を開発して運用していたことを示している。「華光礁I号」から得られた歴史の情報も、海のシルクロードが中国を起点とする文化伝播の道だったことを物語っている。「華光礁I号」には古代中国と周辺国との友好往来の歴史が刻まれており、当時の中国人が「グローバル経済」を構築する先駆けとなり、世界文明の発展に寄与したことを示している。

海のシルクロードの痕跡は、陸上にも残っている。例えば海南省の三亜市などでは、古い時代のイスラム教に基づいて作られた墓群が見つかっている。眠っているのは、商船に乗ってやって来て、故国に戻ることなく海南で生涯を終えたイスラム商人だ。海南省ではその後、イスラム教を信仰する少数民族が増えた。これも中華文明とイスラム文明が互いに促進し合い、融合し合い、共に発展してきた例だ。

歴史的文献を調べると、中国は漢代から清代まで、中国は南シナ海諸島と南シナ海航路を開発し経営していたことが分かる。中国船が運んだのは磁器だけでない。東南アジア地域の古い祠や宗廟で使われている石材の一部は、「金銀島I号」と「珊瑚島I号」という沈没船から発見された石材と同じ場所で採掘されたことが分かった。

中国が海で歩んだ道は西洋諸国とは違っていた

中国人は古くから、「人はみな公のためにある」と考えた。中国人は世の中がすべて調和し、彼我の差別のない「天下大同」を理想と考えた。この考えは、現代の「人類運命共同体」にも通じる。中国人は海洋交易でも、平和的な取り引きで互いに利を得ようと考えた。逆に西洋諸国は大航海時代を迎えると、植民地獲得や略奪に走った。中国とは全く違う道だった。

「華光礁1号」で見つかった磁器

中国による海上交易の興隆と繁栄は、異なる国、異なる民族の間の文化交流をもたらし、異なる文化が互いに参考にし、学び合い、融合する状況を実現させた。交易によってもたらされた文化の融合は、今日の世界がどのように平和発展の道を歩むかに対して、極めて高い参考価値がある。

現在は中国内外で学術会議が開催され、各国の専門家が文化財の保護や経験の交流を展開している。そのことで、協力とウィンウィンの方式で互いが結びつき、文化財の保護と修復を懸け橋として、異なる民族、異なる国家、異なる地域間の交流とお互いを参考にすることが実現しているわけだ。(構成 / 如月隼人

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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