日本は石油ショック時と同様なエネルギー問題に直面、岸田政権は切り抜けられるか―中国メディア

Record China    2023年1月24日(火) 5時0分

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中国メディアの環球網は20日付で、日本は1970年の石油ショックと同様のエネルギー問題に直面しており、岸田政権は日本の今後の運命を左右する政策の推進を余儀なくされていると論ずる文章を発表した。

中国メディアの環球網は20日付で、日本は現在、1973年の石油ショックと同様なエネルギー問題に直面しており、岸田政権は日本の今後の運命を大きく左右する政策の推進を余儀なくされていると論ずる、黒竜江省社会科学院北東アジア戦略研究院の首席専門家を務める笪志剛氏の署名入り文章を発表した。以下は、同文章の抄訳だ。

日本は第二次世界大戦後、国際市場でエネルギーが低価格だったことなどの外部条件を利用して「貿易立国」や「技術力向上」などの国策を推進した。石炭から石油へのエネルギー転換も行った。日本はそのことにより、経済の復興や高度成長を実現した。しかし、1970年に世界が第1次オイルショックに見舞われたことに伴い、日本も戦後初めて、本当の意味での苦しさを味わうことになった。日本では景気が急速に落ち込み、石油製品と電力の価格が高騰した。生産能力は過剰になり、失業者が急増し、産業競争力が急激に縮小した。原油の値上がりは中東からのエネルギー輸入比率が90%近くあった日本を、国際収支の深刻な赤字に陥れた。

日本政府は対応のために74年、「サンシャイン計画」に着手した。エネルギーの多元化を推進するために、巨額の支援資金を次々に導入して、原子力発電所も建設した。同計画は、全産業と全社会が取り組むことで、2000年までに石油に代わる新たなエネルギーを開発することを目的とした。

同計画は日本に一連の変化をもたらした。日本製の太陽光発電パネルは世界をリードし、原子力発電所の数は40基を突破した。その他の省エネ・排出削減産業の躍進も刺激された。

「サンシャイン計画」は石油ショックという「禍」を「福」に転じさせた。しかしその後、太陽光発電パネルなど新エネルギー開発では高価格という日本の弱点が浮き彫りになり、中国や韓国に追い抜かれていった。原子力発電も、

日本では東京電力福島第1原発の事故の影響で、総エネルギーに占める割合が低下した。日本では原発の多くが安全性を理由に10年以上も停止している。日本は中東の石油に依存し続け、ロシアからの天然ガスの輸入を拡大してエネルギー源を補完せざるをえない状況になった。

しかしロシアとウクライナの紛争が勃発して以来、日本は米欧の対ロシア制裁に追随することになった。日本は改めて、エネルギー価格の高騰と、ロシアからのエネルギー資源の輸入ストップの可能性に直面することになった。日本におけるエネルギーの海外依存率は、石油ショック発生時を上回る92%に達している。日本国内には、エネルギー安全保障のリスクは警戒ラインを越えていると憂慮する声もある。

このような窮状に対応するために、岸田政権は経済と外交を通じて従来型エネルギー供給の多元化と安定化を図り、さらに全世界における気候変動作への対応にも結び付けて、10年間で150兆円を投入して脱炭素社会を構築する構想を打ち出した。日本のメディアは「新たなサンシャイン計画」とも呼んでいる。

しかし岸田政権の構想は欧州の後追いであり、中国との競争圧力にも直面している。かつてのサンシャイン計画と同様に「禍」を「福」に転じられるかどうかには、多くの“変数”が存在する。

日本がエネルギー関連で、二重三重の衝撃を受けた状況は、他の国にも警告を与えている。従来型のエネルギーへの依存が形成されれば、新たなエネルギーを開発する意欲は阻害される。しかし長期的に見れば、クリーンエネルギーの発展を断固として推進することは、各国にとって避けられない道になる。

日本は改めて顕在化したエネルギー問題に対応するために、かつての「サンシャイン計画」に似た取り組みを再開した。ただし、エネルギー構造の軟着陸と低炭素化を図る一連の試みが続けられるかどうか、またどのような成果が得られるかについては、今後も見守りつづけねば判断できない。(翻訳・編集/如月隼人

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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