日本で出会った目の不自由な人に同行してみたら…―在日中国人

Record China    2023年1月21日(土) 22時0分

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華字メディアの日本華僑報は18日、「日本で目の不自由な人に同行してみた」との文章を掲載した。資料写真。

華字メディアの日本華僑報は18日、「日本で目の不自由な人に同行してみた」との文章を掲載した。以下はその概要。

その男性に気付いたのは、横浜市内の車が多く行き交うとある駅の近くだった。タクシーが待機エリアに入る交差点には横断歩道がある。男性は横断歩道の前に立って、ぼうぜんとした様子で杖1本で地面を探っていた。私は彼とすれ違った時に少し心配になった。体の向きが人の流れから35度ほど傾いていたのだ。彼はそちらが正しい進行方向だと思っていたようだが、バスが行き交う車道に向かっていた。周囲の人は私と同じように彼を心配し、立ち止まって様子をうかがっていた。

男性は70~80代のようだった。瘦せ型で黒縁眼鏡をかけており、数年前に亡くなった私の父に少し似ているように見えた。手にしていた杖は目の不自由な人専用の白く長いものではなく、一般的な短い木製のものだった。私は杖で手掛かりになるものを探っている彼のそばに戻り、「すみません。何かお手伝いできることはありますか?」と声をかけながら、彼の体の向きをそっと正しい方向に向けた。彼は日本語で私に感謝を述べ、「お手伝いいただいてもよろしいでしょうか?」と尋ねてきた。

私が「もちろんです」と答えると、彼は申し訳なさそうに「次の信号まで案内していただけますか?」と頼んだ。どのように手を引けばいいか分からない私の戸惑いが伝わったのか、彼は進行方向を向いて肩をつかまらせてほしいと言った。彼は左手を私の右肩にかけ、右手はその短い杖をついて、一緒に歩き出した。

次の信号まで案内し大通りを渡ると、彼は感謝と別れの言葉を口にした。自分で帰ることができると彼は言ったが、心配になった。彼が説明した家はその場所から少なくとも2キロ以上離れていて、交差点も多い。彼に何かあったら私はきっと後悔すると思い、気付くと「近くに行くところですからもう少しお送りしましょうか?」と申し出ていた。男性は「本当ですか?それはそれは、申し訳ありませんね」と喜びが伝わる顔でお礼を言った。私は昼食の約束をしていた家族に電話をかけ、「少し遅れるかもしれない」と伝えて彼の案内を続けた。

私の人生で、見知らぬ目の不自由な人を案内するのは初めてだった。交差点を渡るたびに彼が一人でここを渡るのはどれほど危険かと心配になった。しかし、彼はそれほど不安を感じていないようだった。毎日、同じルートを通って駅までの道を往復しているという。実際、彼は一つひとつの交差点を正確に覚えており、カレー屋の前を通った時は「ここのカレーはおいしくてね。子どもたちが小さい頃はよく来ていたんだ」と教えてくれた。

彼の言う通りに進んだが、その道のりは私が思っているよりもはるかに遠く、複雑だった。私は徐々に、額に汗をかき始めた。聞けば、彼は若いころに会社を経営していたものの、不景気で会社を閉め、以前所有していた別荘や高級車を売って、今は奥さんと一緒にアパートで暮らしているとのこと。目はここ数年で急に見えなくなってしまったそうだ。

「目が見えないのに毎日出かけるのは怖くないですか?」と尋ねると、彼は道は全部記憶しているから怖いと思ったことは一度もないと言った。たまに親切な人に助けてもらったり、案内してもらったりすることもあるそうだが、一人で出掛けることは自分の人生の重要な一部で、いつか歩けなくなったらそれはもう命が尽きる時なのかもしれないと話していた。アパートに着くと、彼はまた丁寧にお礼を言い、私を残して建物の中に消えていった。

このことは日常の忙しさの中で次第に忘れていったが、散文の授業で散文家の李修文先生が田舎で目の不自由な人に付き添った時の話を聞いて思い出した。当時は土砂降りだったにもかかわらず、その目の不自由な人は「自分の頭上には一筋の雨もない。自分は今、北京の長安街を歩いているんだ」と告げるというものだった。李先生はこの話に驚き、「目の不自由な人は、みんな目には見えずとも固く信じた道の上を歩いているのだ」と理解したそうだ。

私も不意に悟った。私が付き添った彼も、自分が信じた道をしっかりと歩いていたのではないか。目には見えず、危険があることは分かっていても。それは健康への道であり、決して迷うことのない帰る道だ。そう考えると、私たち一人ひとりが歩く道に、危険のないところなどあるだろうか。そのすべてが、自分の目的地に向かうための道、自分の理想と信念に通じる道、自分が見定めた道、あるいは安心できる温かい家への帰り道ではないか。

そして、広大な人の海、世界、複雑な周辺環境で、私たち一人ひとりもまるで目の不自由な人が手探りをするかのように、世界と接し、付き合っているのではないか。もし私たちが信じる道を、理想の道を、心に通じる道を見つけたのなら、危険を冒してでも進まないわけにはいかないだろう。道中では、心配してくれる人、助けてくれる人、案内してくれる人、送ってくれる人に出会うことがある。この広い世界において、私たちはみな「目の不自由な人」であり、信じる道を行く人、そして何より、互いに助け合うことができる同行者なのだ。(翻訳・編集/北田

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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