「First Love 初恋」に見る日本の“純愛ドラマ”の真骨頂

Record China    2023年1月3日(火) 23時50分

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北京青年報が運営するネットメディアの北青網はこのほど、ネット配信ドラマの「First Love 初恋」を題材に、日本の純愛ドラマの真骨頂を解説する記事を発表した。

北京青年報が運営するネットメディアの北青網はこのほど、ネット配信ドラマの「First Love 初恋」(以下、「初恋」)を題材に、日本の純愛ドラマの真骨頂とその意義を解説する記事を発表した。中国人視聴者は「日式純愛ドラマ」をまだ完全には理解できていない場合もあるとした。

■中国人は日本の純愛ドラマを愛してきたが、完全には理解できていない面がある

中国人視聴者から「初恋」について寄せられた感想は、真剣なラブストーリーを評価し、感動したことを表明ものがある一方で、脚本の「ダサさ」や「パターン化」を批判するものもあり、互いに矛盾しているように見える。中国人にとって日本の純愛ドラマは「旧知の他人」だ。中国人は1990年代から、「東京ラブストーリー」、「星の金貨」、「101回目のプロポーズ」など、日本の古典ドラマを愛し、感動の涙を流してきた。ただし、「日本式の純愛とは何なのか」と考えられることはあまりなかった。

「初恋」が恋愛ドラマであることはすぐに分かるが、中国人はストーリーの展開の仕方に、まだ慣れていないのかもしれない。例えば、中国人が日ごろ目にする恋愛ドラマは、さまざまな要素を追加していく「足し算」方式で構成されていた。しかし「初恋」は、三つの時代を交錯させ、タイムスリップもあり、扱う年月は20年以上にも及ぶ。極めて複雑な状況であり、ドラマをどんどんもつれさせられる要素に満ちている。そして、さまざまな要素から使わないものを「引き算」方式でそぎ落として、物語をだらけさせずに進行させていく。

同じ日本ドラマでも、数年前に発表された「恋空」は、はるかに多くの要素を盛り込んだ。ヒロインの女性は未成年のうちに妊娠した。そして男性の前の恋人のせいで流産した。男性は自分が不治の病を患っているために、女性に別れを告げた。まるで「古いネタの集大成」とも言える内容だ。ただし、男性が最期の瞬間まで女性に対する心を変えなかったことで、「恋空」は日本の純愛ドラマの古典としても地位を獲得した。

■純愛ドラマを求める日本人の心には、日本社会の変遷が反映されている

日本人はなぜ、純愛ドラマを求めるのだろうか。第2次世界大戦が終結してから高度成長期まで、日本人は「努力さえすれば、きっとよい暮らしができる」と信じることができた。日本人は希望に満ちた生活を送ることができた。しかしバブル崩壊後、日本社会は次第に「物質的には自由だが生きがいを見つけにくい状況」へと変化していった。オウム真理教が1995年に起こした地下鉄サリン事件は、日本社会の不安と焦燥を反映したものだったことは間違いない。日本社会には今も、「意味」や「価値」を見いだせないことへの不安とや恐れが漂っている。

日本ではバブル崩壊以降、「豊かになろう、豊かになれる」といった、社会の主流だった壮大な物語が崩壊してしまった。日本の若者は自分の人生をどのように組み立てればよいのだろうか。漠然とした理想は諦めて、他者から認められることを目指すことが、より現実的な目標となる。だが、他者からの「無条件の承認」は、どこまで求めることができるのか。

日本式純愛は、このような文化的背景の下で生まれた。純愛ドラマで描かれる愛は、必ずしも狭義の恋愛ではない。例えば、「涙そうそう」は、恋愛と兄妹の思いを織り交ぜた。「ROOKIES-卒業-」ではは師弟愛や友情も描かれた。「ALWAYS三丁目の夕日」とその続編は、昭和期の日本人の隣人愛を描いた。これらの作品はいずれも「純愛ドラマ」に分類できる。登場人物がどんな状況下でも、自分の家族や仲間、あるいは恋人を無条件に受け入れ、愛すからだ。現実世界で人間関係に影響を与える社会的地位や経済状况は、これらのドラマでは希薄な扱いだ。

そして、「変わらなくてよい。自分らしければよい」は、常に日本の純愛ドラマの“決めせりふ”だった。そして「初恋」では、さまざまな登場人物が自分の立場で家族への愛にあふれる行為をする。それらの細かいエピソードは、現代日本の若者の純粋な感情に対するあこがれを反映している。

■「初恋」が最も感動的なシーンで終結せずに、さらに1話を置いた意義とは

「初恋」は全9話だが、第8話の終わりの部分で、全作品を通して最も感動的なシーンがある。おなじみの宇多田ヒカルの歌声が響くと、青春の思い出が爆発する。ライラックの花を押してくれた少年、洗濯屋で服をかぶせてくれた男、唇にタバコのにおいを薄く残してくれたキス。スクリーンの前にいた無数の観客は目頭を赤くした。さらに「ここでドラマが終わるなら、もっと“リアル”だったのではないか」との意見も寄せられた。

しかし、そう思う人は日本人による純愛の意義をよく理解していないのだ。「日本式純愛ドラマ」では、血圧を上げてしまうような三角関係や、実際には吹けば飛んでしまう中年の危機も描かれない。それは日本人が現実の生活に無知だからではない。日本式純愛とは、人の感情が持つもう一つの可能性、最も純粋な可能性を示すものなのだ。

われわれは現実の日常生活で「リアルな恋愛ドラマ」に慣れ親しむことになる。しかし、日本では純愛ドラマの人気が依然として高い。日本人作家の本田透さんが言うように、「この純愛ブームは、恋愛そのものへの期待感が低下し、むしろ容貌や経済などの外的要素が恋愛関係に重きを置いていることへの最後の批判である」ということだ。

多くのネットユーザーは、この「初恋」には「かす男」や「恋爱脳」が登場すると非難した。このことは、われわれがますますこの世界を信じていないことを説明するようにも思える。中には、愛情など私たちの身の上に起こる事態も信じられず、全力で取り組むことをせずに、部分的にしか関与しないような態度が取られる場合もある。だからこそ「初恋」の最終回で、野口也英が並木晴道に向かって走っていくシーンは貴重なのだ。ヒロインはついに、彼女の人生の中で「最も重要なジグソーパズル」を自分のものにすることができた。われわれはそのことで、厭世(えんせい)主義を克服する強大なエネルギーを手に入れることになった。(翻訳・編集/如月隼人

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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