マージャンはいかにして、米国文化の一部になったのか―米国人学者が解説

中国新聞社    2022年11月26日(土) 22時0分

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中国で生まれたマージャンは、20世紀初頭には世界各地に広まるようになった。米国は、中華圏以外では、「マージャン人口」が相当に多い国の一つだ。

マージャンは19世紀の中国で形作られたとされている。そしてマージャンは、日本などの周辺国だけでなく、遠く欧米にも広まった。マージャンが米国など異文化の地で、どのように人気を獲得したのか。中国メディアの中国新聞社はこのほど、米オレゴン大学のアンネリス・ハインツ教授に取材して、概要をまとめた記事を発表した。ハインツ教授は中国の雲南大学で教職についた経験もあり、「マージャン:中国のゲームと近代米国文化の形成」という著作もある。以下は中国新聞社掲載の記事を、部分的に情報を追加することも含めて再構成したものだ。なお、マージャン用語に添えた< >内のカナは、日本で一般的に用いられている呼称であり、標準中国語の発音とは違いがやや大きい場合がある。

■マージャンの「米国上陸」は1920年代、人気が高まりルールブックも出版

欧米人にもマージャンを愛好する人は多い。有名人としては、米国人俳優のジュリア・ロバーツさんが、「マージャンの魅力は手にした牌(パイ)がもたらす混乱の中から秩序を創造することにあるのです」と、“マージャン愛”を熱く語ったことがある。元バスケットボール選手のシャキール・オニールさんはマージャンの腕前でも有名で、春節(旧正月)に中国を訪問してマージャンに興じたことがある。

世界各地に広まったマージャンは、地域によるルールの違いも発生した。例えば米国式マージャンや日本マージャンなどだ。このような現地化されたマージャンはすでに40種以上があるとの見方がある。米国では、米国マージャン連盟が1937年に設立され、ルールの調整なども行っている。設立当初はわずか32人だった登録会員は、現在では35万人を超えるまでに増加した。

ハインツ教授は、雲南大学で教職に就いていた時期に、初めてマージャンをした時の記憶を「牌はひんやりとしてなめらかで、重みを感じた。ぶつかり合った時に出る音と、美しいデザインに、たちまち魅了された」と説明した。

マージャンが「米国上陸」を果たしたのは1920年代とされる。人気が高まりルールを紹介する冊子も出版され、「レッドブック」の愛称で親しまれた。なお、マージャンの牌には数や色を示す漢字も使われているが、欧米で使われる牌には英語が書き添えられている。

ハインツ教授はマージャンが流行した理由にはまず、牌を操る際の感覚的な心地よさがあると指摘。そして確実さと不確実さの間で工夫と取捨選択をしながら「和<ホー>」(上がり)を達成する高揚感が人々を魅了するという。

ハインツ教授によれば、中国では「餅子」と呼ばれる種類の牌は「儒教」を、「条子」は「儒教」、「萬子」は「道教」を象徴すると考えられている。つまり、マージャンは、中国の伝統を背景としたゲームでもあるという。なお、日本では「餅子」は「筒子」の文字で表して、呼び方は「餅子」の中国語読みに近い<ピンズ>とすることが多い。また、「条子」は日本では「索子<ソウズ>」と呼ばれ、「萬子」は、同じ文字で書いて<ワンズ>あるいは<マンズ>と呼ぶ。

■最初は白人の間で人気に、用具を生産するための産業も成立

マージャンは4人という比較的多い人数で楽しむゲームであり、ゲームをしながら会話を楽しむことができるので、米国人にとっても社交の道具として適していた。また、当時の米国人は、中国文化に神秘的なイメージを持っていた。人々は自らとは異なる文化に寛容であり、マージャンが持つ神秘性に米国人は魅了された。

ハインツ教授は、マージャンの海外普及について、「100年余りの間に、性別や人種を超えたゲームとなり、多様な社交空間で人と人を結ぶ独特の役割を果たすようになった。マージャンはかなりの程度、現代米国文化の一部にもなっている」と考えている。

米国でマージャン人気に火が付くと、中国や西洋の実業家が上海に、マージャン用具を大規模生産するための工場を作った。さらにはニューヨークにも工場が作られた。つまり近代的なマージャン産業が出現した。

興味深いことに、米国内で最初にマージャンが広まったのは、ニューヨークなどにいる白人の間だった。そして1930年代になると、チャイナタウンの中国系住民に広まった。この時期には、中国国内でも海外でも、マージャンは「中国の国民的ゲーム」と認識されていた。日系米国人がマージャンを知ったのは1920年代で、第二次世界大戦中には特に、手軽な娯楽として彼らの間でマージャンに対する注目度が高まった。1950年代になると、ユダヤ系米国人の間でマージャンが盛んになった。

■本国では紆余(うよ)曲折あったものの、現在は「伝統ある頭脳スポーツ」として評価

なお、中国本国では中華人民共和国が成立すると、マージャンがその他の賭(か)け事と共に、「一律禁止」の対象になった。ただし、1976年に文化大革命が終了して改革開放の時代になると、マージャンに対する見方が変化し始め、1985年までには「賭けはしない」などの条件のもとで、マージャンが解禁された。現在では競技団体も存在して活動を行っている。中国ではマージャンが「伝統ある頭脳スポーツ」として公認されており、最近では国際マージャン連盟と中国側団体が「マージャンスポーツ技術技能等級評価管理規則」を制定するなどの動きがある。

米国のいわゆるマイノリティー人種にとっては、マージャンはコミュニティーを維持強化することにもつながった。マージャンは一方で、人種の垣根なしで楽しめることから、米国社会の融合を推し進める力にもなった。

米国におけるマージャンの人気は、時代による変動もあったが、2010年代後半からは高齢者の間での人気が高まった。一人暮らしのお年寄りなどが高齢者用施設に足を運んで、仲間とマージャン卓を囲む姿が、珍しくなくなった。若いころは楽しんでいたが、その後は離れてしまったマージャンを再開した人もいれば、未経験者で施設でルールなどを手ほどきしてもらいつつ始めた人もいるという。

ハインツ教授は「私は米国や他の地域でマージャンが再び流行していることをうれしく思う。マージャンが引き続き繁栄して、未来に向けて発展していくことを願う」と述べた。(構成 / 如月隼人

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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