孔子の故郷で受け継がれる石碑拓本の技、「文化の担い手」の誇りを胸に

Record China    2022年10月23日(日) 11時30分

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中国では「書」を学ぶ際に、古い石碑から作った拓本が欠かせなかった。孔子の故郷である山東省の曲阜市には、6000基もの石碑が存在しており、拓本づくりの技術も高度に発達した。

中国では「書」が極めて重視されてきた。「書」は美の追求であり、書き手の人格を示すものともされた。肉筆の書は、もともとが紙などに記されているだけに失われることも多かった。古い「書」を知るために重要なのが、石碑の拓本だ。孔子の故郷である山東省の曲阜市には、6000基もの石碑が存在する。2000年以上も前の前漢の時代の石碑もあるという。そのため曲阜市では、石碑から拓本を作る技術も発展し、伝承されてきた。

曲阜に存在する漢代(紀元前202年-紀元220年)と三国時代(220-280年)の魏の石碑の文字はそれぞれ漢代隷書と魏の碑書の手本とされている。

宋代の文人の欧陽脩(1007-1072年)は古い文字を研究するために各地の石碑を探し回った。著書の「集古録」には、石碑の拓本が収録されており、曲阜の石碑によるものも多い。

明代(1368-1644年)と清代(1644-1912年)には古い石碑の研究が極めて盛んになった。そのことにより、曲阜の碑文拓本業には空前の隆盛がもたらされた。拓本の製作技術は急速に進歩し、また技法の種類も増えた。そして、それまでよりも精緻な拓本が作られるようになった。


曲阜で作られた拓本は美しい仕上がりのために、人々に愛されてきた。碑文帖は文人墨客の模写の手本になっただけでなく、読書人のコレクションになり、気品ある贈答品や、皇帝への献上品にもなった。

周竜濤さんが拓本づくりの道に入ってから、すでに数十年が経つ。周さんは、自分の仕事に大きな誇りを持っている。「拓本は中国の伝統文化の発展に重要な役割を果たしてきました。なぜなら、昔は他の媒体や文化交流の方式がなかったからです」と説明する。

また、昔は子どもが字を学ぶ際に用いる手本にも拓本を利用していた。文字を学ぶ人は、その最初の段階から拓本を利用し、長じて「書の達人」と評価されるようになってからも、拓本を利用して研鑽に励んだ。

とは言え、現在では拓本を利用して文字を学ぶ人は激減した。しかし拓本の伝統の断絶は絶対に避けねばならない。周さんは、プロの職人だけではなく、愛好家の育成にも力を入れている。さらに現在の学校にも取り入れられやすいように、拓本集の分冊を作る試みにも着手した。

心強いことに、中国で伝統文化の再評価が進んだことは拓本製作への追い風になった。曲阜の拓本づくりの技術は山東省の非物質文化遺産(無形文化遺産)にも指定された。周さんのチームにはベテラン職人が多い。そのためベテラン職人がチームとして若手を指導育成している。また、新たな拓本技術も開発している。

また、観光客に拓本づくりの現場を披露することもしている。曲阜の拓本づくりは大いに注目を集め、やってくる修学旅行団体や研修旅行団体が、後を絶たない状態になった。そして多くの人が曲阜で自ら、拓本づくりを体験することになった。


かつての拓本は、専門の職人が手掛けて必要とする人に提供するものだった。現代の拓本は、多くの人に自ら製作を体験してもらい、その価値や面白さを実感してもらうことも重視するようになった。文化とは実用性のみを追求するものではない。一方で、人々の心から離れてしまったのでは文化の存続は難しい。曲阜の拓本は、多くの人々の共感と支持を得ることで、歴史をさらに前進させようとしている。準備はすでに整った。(翻訳・編集/如月隼人

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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