ストリートダンスで中国と交流、世界に向けて夢は広がる―先駆者の北村彰英さんが語る

中国新聞社    2022年10月12日(水) 12時0分

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北村彰英さんは、中国でストリートダンスの中でもポッピングというジャンルを紹介し続けてきた。しかし中国における““ダンスの進化”を見聞して「こうあるべきだ」と痛感することもある。

ストリートダンスと呼ばれる踊りがある。路上で踊られたことに由来する名で、さまざまな流儀がある。また、劇場などで踊る場合もある。Ackyの愛称もある北村彰英さんは中国で盛んに活動し、ストリートダンスの中でも特にポッピングというジャンルを紹介し続けてきた。中国メディアの中国新聞社はこのほど、北村さんへの取材に基づいた記事を発表した。以下は同記事の抄訳だ。なお、日本人読者向けに情報を多少追加するなどで再構成した部分がある。

■最近になり中国に渡りTV出演、コロナが流行しているだけに人々を勇気づけたかった

北村さんが日中両国を往復するようになったのは2001年だった。最初は中国でポッピングを踊る人は10人ほどしかいなかった。それが07年には500人を突破し、最近ではポッピングのイベントに1000人以上が参加する。北村さんは「まったく予想もしていなかった」と述べた。

北村さんは、ストリートダンス人口の増加だけでなく、ダンスの理念を伝えることを重視している。21年には、中国のテレビ局にストリートダンスが登場する番組への出演の声がかかった。他のダンサーと競い合う内容もあり、負けてしまった場合を懸念したり、新型コロナウイルス感染症が流行している中で自宅には幼い子どもがいることも考えて最初はためらったが、やはりダンスへの愛情が勝った。中国に渡って番組に出演することにしたのだ。

北村さんによると、若い人と技術面で競争することは、もはや無理という。できることは情熱と精神で踊ることだけで、ダンスとはそもそも肉体と感情を結び付けるものと信じている。また、勝敗に関係なく、コロナ流行のような特別な時期だけに、ダンスで人々を勇気づけたかった。

北村さんは、新型コロナ感染症が発生した当初から、オンラインで行ったダンスのレッスンによる収入を武漢のダンサーに寄付した。北村さんはストリートダンサーの力を結集することで、人々にストリートダンスの理念を伝えたいと考えた。出演した番組についても、若者から「自分が小さい頃からあこがれた人が、今もステージで熱血を込めて競っている。自分も立ち止まっていてはならない」との感想が寄せられた。

北村彰英さん

■世界のストリートダンスが同質であってはならない、自分が持つ文化の背景を反映させる

北村さんは、中国で踊った経験や中国人ダンサーとの交流を通じて、異文化を融合させる新たなスタイルを打ち出した。北村さんによると、中国やアジアにおけるストリートダンスは、最初は「文化の舶来品」に過ぎなかった。しかし現在の中国ではストリートダンスに「中国の香り」がますます強くなっているという。

北村さんが中国舞踊の歴史を意識し始めたのきっかけは敦煌壁画を見たことだった。1000年を経た石刻壁画は当時の音楽、舞踊、服飾、社会風俗の各方面を映し出しているだけでなく、古代イラン、インド、ギリシャなどの文化芸術の面影も見ることができる。北村さんは「融合と相互参照の偉大な産物です。それぞれの時期に、長い歴史を持つ中国舞踊文化は、この重厚な歴史と同様に、強大な包容力と創造性を示していると思います。だから私は中国の歴史文化を尊敬しています」と語った。

北村さんによると、ストリートダンスに限っても、スタイルは一つだけであってはならない。中国のダンサーは、世界的なダンサーの交流を通じて得た西洋のストリートダンス文化に対する認識と理解を自らの踊りとして表現し、さらに「中国らしい」ダンスを生み出したいと考えているという。

東西のストリートダンス文化の交流と衝突は、世界全体のストリートダンスの発展にも有益だ。北村さんは「ストリートダンスのダンサーは中国と西洋の交流の機会が増えたことで互いに知り合い、交流と切磋琢磨(せっさたくま)の中で互いに学び合っている。このような対面の交流は、個人のダンス技術を高めるだけでなく、この10年間にわたりストリートダンス全体の発展をけん引してきた」と述べた。

北村さんは自らの経験を「若い頃は、ストリートダンスを通じて世界中の友達ができるとは思ってもいませんでした。コンテストで負けて、悔しくて泣くこともありました。しかしそういう経験をしてこそ初めて本当の友情を萌えることができます」と紹介した。そして、交流して共有することで、世界中のダンサーを共に進化させていくことが、自分のような年齢に達したダンサーの使命と感じているという。

北村さんが若かった頃は携帯電話を持っておらず、インターネットのSNSを使うこともまだなかった。今はすっかり情報共有の時代になった。どの人も、入手できる情報は大差ない。しかし、国ごとに流行は違っている。ちょうど中華料理、フランス料理、イタリア料理など、さまざまな食の様式があるのと同じだ。ただ、国によってダンススタイルの違いはあるが、ストリートダンスを通じての表現や情熱は共通している。

舞台劇『劉三姐』

■2024パリ五輪がストリートダンス採用、中国の選手はすでに実力を備えている

北村さんは中国で「衝撃的体験」をしたことがある。中国のダンサーが中国文化をストリートダンスの作品に取り入れて、自らの民族文化への自信を体現し、さらに独特のストリートダンスの形式で民族文化を伝え発揚させるパフォーマンスを見た時だ。

北村さんは「日本人ストリートダンスダンサーとして、中国のダンサーのように、日本風のストリートダンス作品を踊ることは一度も試みたことがありませんでした。私は深く感動しました。同時にとてもよい学習経験でした」と述べた。自国の要素と西洋のダンスの融合はストリートダンス界の未来にとって極めて重要で、必ず広まると考えているという。

北村さんによると、ヒップホップダンスの一種のブレイクダンスは、1970年代に米国の街頭で始まった。ヒップホップの多くの動きは体操や中国武術とつながりがある。もともとは動きに決まりはなく、アドリブが多い。その後、何年も時間がたってから規則が定まった競技に変化した。大規模なイベントの開催が増えたことで、ヒップホップダンスはスポーツとしても広く認知されるようになった。2024年のパリ五輪大会では、ブレイクダンスが追加されることに決まった。北村さんは「試合の勝ち負けよりも、平和に競争し、若者に夢を持たせることに意義があります」と語った。

中国では近年、さまざまなストリートダンス大会が開催されており、外国人ブレイクダンサーが参加したり、中国人と交流したりすること増えた。中国のダンサーはパリ五輪に向けて、すでに確かなダンスの実力を備えており、さらには得意とする中国風ストリートダンスの魅力を十分に発揮するなど、独自のスタイルを形成していることが強みという。

北村さんにとってダンスは命そのものだ。肉体面ではもう若いとは言えないが、簡単にあきらめることはしない。北村さんは「私の表現力はまだ強化できる。ダンスの感受性も向上させられる……」などと、人生の最後の瞬間まで頑張りたいと語った。(構成 / 如月隼人

舞台劇『劉三姐』

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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