<ウクライナ侵攻>熱い気持ちに支えられて立ち上がる女たち=孫に語り継ぐ戦争

奥田万里    2022年10月9日(日) 7時0分

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コロナが落ち着きを見せていたので、静岡市民ギャラリーで開催された書展に足を運んだ。写真は書籍「戦争は女の顔をしていない」。

コロナが落ち着きを見せていたので、静岡市民ギャラリーで開催された書展に足を運んだ。友人の書家西原泉の書のひとつに「祖母語る空襲の夜に舞う蛍」があった。

西原の説明によれば、これは浜松の高校生関繭子さんが詠んだ俳句で、3年前の「平和の俳句」(中日新聞主催)で優秀賞に輝いたものだという。

この書の傍に受賞を伝える当時の新聞記事もあり、繭子さんの談話が紹介されていた。常日頃、同居の祖母から戦時中の暮らしぶりを聞いていた繭子さん、祖母に平和の俳句を勧められたとき、真っ先に思い出したのはホタルの話。記事はこう伝えている。

太平洋戦争の末期のある夜、空襲警報が鳴った。灯りを消してすぐ防空壕へ。落ち着いたと思って出ると、ふらふらと舞う一匹のホタルが目に留まった。「空襲で亡くなった人の魂かしら」。目で追ったが、ホタルの光はふっと闇に消えてしまった。

西原が所属する墨人会は、「書は命の躍動の表現であり、生き方のかたちである」として、「書」を追究している。彼女が大書する書は、年を重ねるごとに凄みを増し、迸(ほとばし)る筆遣いは彼女の命そのものの表現だと感得してきた。今回の書展に出した「生」の一文字は、一塊の暗雲となり、混沌とした世に生きる人間の有り様をまさに墨痕だけで表現した作品だった。しかしながら、この「平和の俳句」は、これまでの彼女の路線とやや異なっている。

ロシアによる理不尽な戦争

西原は今回何故3年前の繭子さんの句を書いたのだろうか。彼女曰く、今年になって繭子さんの祖母が亡くなったこともあるが、この句が祖母の昔語りを孫が鋭く捉え、戦争の悲惨さ、命のはかなさを一瞬の蛍の灯に凝縮したことに強く惹かれたからだという。だが、それだけだろうか? 

もう一つの出品作「祈」と併せて3点を並べてみると、私はその背景に、2月に唐突に始まったロシアによる理不尽な戦争があるのではないかと思うのだ。国土を蹂躙され、無辜の人々が殺戮され、避難民となって流浪するウクライナの人々の現実と、かつて空襲に見舞われた私たちの前世代の苦しみが重なり、この戦争を一刻も早く終わらせてほしいと願う彼女の強いメッセージを、「3点の書」に感じ取ったのは、私だけではあるまい。

それにしてもこの「特別軍事作戦」について、ロシアに住んでいる人々はどこまで事実を知っているのだろうか?報道管制が敷かれているため、生の声はほとんど聞かれない。今、ロシアは一体どうなっているのか?『セカンドハンドの時代―「赤い国」を生きた人々』の中で、ソ連時代多くの市民は密告を恐れて、台所でしか本音の話ができなかったと書いていたベラルーシの作家スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの本を、さらに読んでいる。

◆兵士として勇猛果敢に戦った女性たち

『戦争は女の顔をしていない』では、「独ソ戦」に看護婦や軍医としてのみならず、兵士として勇猛果敢に戦った女性たちに焦点を当てている。これらの女性たちは戦勝後、女性であるがために世間から白い目で見られ、戦争経験をひた隠しにして生きていかざるをえなかったという。このことを知った著者は、およそ10年かけて500人もの従軍女性から聞き取りを行い、戦争の「真実」を明らかにしたのだった。


彼女は書く。「女が語る戦争」は「男の」それよりずっと恐ろしいと言える。男たちは歴史の陰に、身を隠す。戦争で彼らの関心を惹くのは、行為であり、思想や様々な利害の対立だが、女たちは気持ちに支えられて立ち上がる。女たちには男には見えないものを見出す力がある。

『ボタン穴から見た戦争』は、同じくナチス・ドイツの侵攻を受けたベラルーシ(白ロシア)で孤児となった子供たちの過酷な体験記憶を40年後になって聞き出したもの。子供時代の鮮烈な記憶は決して色あせない。

私は中でも当時11歳の男児の次の言葉にハッとさせられた。(敵側に捕まって、ドイツ兵の傷病者の手当てをさせられたとき)負傷者は「水…水…」とねだる。水筒を口元にあてがってやると、身体がブルブルふるえた。今でもあの時感じたものが何なのか明確に説明できない。

◆人間としての真っ当な規範を

憐み?ちがう。嫌悪感?ちがう。憎しみ?そうでもない。あれはそれが全部まじったものだった。憎しみだって人の中で形作られていくので、初めからあるものではない。「すべての人たちに対して親切に人間的に」と僕たちは教えられていた。初めてドイツ人になぐられた時、僕が感じたのは痛みではなく、別のものだった。「どうして、どんな権利があって彼はなぐったんだ」という気持ちだった。これは衝撃だった。何の理由もなく誰かをなぐっていいなんて理解できなかった。

かつてソ連の11歳の子供でさえ理解していた人間としての真っ当な規範を、一国の指導者が簡単に踏みにじっていいはずがない。果たして今のロシアの子供たちは、将来孫たちに何を語るのだろうか。

■筆者プロフィール:奥田万里

静岡市出身。元高校教諭。退職後、夫の祖父の足跡を調査し始める。中間報告として書いた『祖父駒蔵と「メイゾン鴻之巣」』で2006年度静岡県芸術祭文学部門(随筆)芸術祭賞受賞。2008年かまくら春秋社から同名のエッセイ集を出版。調査の集大成として2015年『大正文士のサロンを作った男 奥田駒蔵とメイゾン鴻乃巣』(幻戯書房刊)出版。

※本コラムは筆者の個人的見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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