歴史を通じて熟成と流入と発散を繰り返した中国の音楽文化―専門家が解説

中国新聞社    2022年8月28日(日) 23時0分

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中国では極めて早い時代から、音楽が重視された。長い歴史を通じて、音楽をめぐっての思索も多かった。写真は中国の伝統楽器の中でも、特殊な地位を占める「古琴」。

中国では長い歴史を通じて、音楽が極めて重視された。音楽をめぐっての思索も多かった。著名な音楽学者であり現在は中国芸術研究院音楽研究所の名誉所長である田青氏はこのほど、中国メディアである中国新聞社の取材に応じて、中国における音楽や音楽観について説明した。以下は田氏の言葉に若干の説明内容を追加するなどして再構成したものだ。

■中国では音楽の「表現力」ではなく「調和をもたらす力」が重視された


私は新著の「中国人の音楽」の中で、中国の音楽についての概念は「和」の一文字にまとめることができると書いた。「和」とは中国文化の最も中核となる価値。

晏子という紀元前500年代を生きた政治家は音楽を例に、「和」は「同」は異なると説いた。「和」には音楽のように、「清濁、小大、短長、疾徐、哀楽、剛柔」といった異なる要素が同時に含まれる。だから「同」ではない。音楽の場合、同じ音が繰り返し鳴っているだけだったら、だれが聴きたいと思うだろうか。

孔子、孟子、老子、荘子など古代中国の哲学者はいずれも、音楽について非常に深い考察をしている。孔子は「詩に興(おこ)り、礼に立ち、楽に成る」(論語・泰伯)と述べた。「人の教養は文学に始まり、礼を習って社会的立場を確立し、音楽によって教養を完成させる」などと解釈されている。荀子は、「礼」は人と人を区別して秩序を実現するものであり、音楽は共に鑑賞することで人と人が互いに理解し、「和」の境地に至らせるものだと論じた。

音楽には別の機能もある。自分の心情を音楽に託して他者に伝える働き、つまり「表現」だ。

西洋音楽では特にロマン派の出現以来、この音楽の表現性が重視されるようになった。しかし、中国では音楽とは平穏さと調和、さらに心身の調和、人と人の調和、人と自然、万物、天地の調和に深く関係することが重視された。

■特異な楽器「琴」、楽器そのものに中国人の自然観が反映された


現在では「古琴」と呼ばれることが多いが、歴史的には「琴(きん)」と呼ばれた楽器がある。中国で、特別に高い地位が認められた楽器だ。「琴」は平面上の底板の上に丸みを持つ板を取り付けた構造だ。「琴」の形状は、中国人の基本的な自然観と天地観を反映している。すなわち、大地の上に丸い天が存在する。

典型的な「琴」の長さは約1.22メートルだが、古い度量衡を用いるならば3尺6寸5分だ。これは1年が365日であることと一致している。また、「琴」には「徽」と呼ばれる、弦を押さえる場所の目印が取り付けられる。「徽」は13個ある。「徽」の個数と取り付け場所は、音響上の理由があるが、考えてみれば1年の12カ月にうるう月を加えた数だ。

「琴」は文人、つまり知識人の楽器だった。そして「琴」の演奏は、文人の人格や精神を反映すると考えられた。

孔子は自ら「琴」を演奏した。それだけではない。「故(こと)無ければ琴瑟を撤(さ)らず」(礼記・曲礼下)という言葉も残されている。つまり、大きな異変がなければ楽器である琴瑟を常に身辺に置くべきとした。後に「左琴右書(左に琴、右に書物)」は教養ある文人にとっての基本になった。

■中国にはさまざまな音楽文化が流入、そして日本など周辺諸国に拡散していった


現在に続く中国文化は、主に現在の河南省を中心とする中原という地方で発生した文化が発展してきたものだ。中原文化には、現地で考案されたものに創意工夫が追加されてきた場合が多いが、それだけではない。周辺領域から伝来した文化も極めて多い。

古い時代の中国語は、一音節すなわち一つの漢字で一つの単語を形成していた。しかし後漢(25-250年)以降は二音節から成る単語が発生した。そのために楽器についても、中国にいつ登場したのかを知る、簡単な目安がある。古くから存在していた楽器は琴、簫、箏、笛、鐘など、漢字一文字でどの楽器かを特定できる。

しかし、例えば琵琶、二胡、三弦などは複数の文字による単語だ。そして、例えば「二胡」を「二」と「胡」に分解すれば、楽器としての意味を形成しない。これらは新しい楽器だ。中国に新たに登場した楽器は上は皇帝や高官、下は庶民までにもてはやされた。これらの楽器を用いる楽曲は、今の用語で言えば「流行音楽」だった。

このような音楽として「燕楽」というジャンルがある。「燕楽」には漢民族の伝統的な楽曲が多いが、それ以外にも中央アジアのクチャ、現在のウズベキスタンのブハラ、さらには古代インドや朝鮮半島から伝わった楽曲もある。

この「燕楽」は唐の繁栄の象徴であり、当時の世界では最高レベルの音楽文化だった。そして中国で“熟成”された「燕楽」は朝鮮半島、日本、東南アジア諸国に大きな影響を与えた。

日本では、遣唐使などが伝えた「燕楽」が「雅楽」と呼ばれるようになった。「燕楽」の曲には舞を伴うものも多かった。「蘭陵王入陣曲(蘭陵王)」もそんな曲だ。唐から伝わったこの曲は今も、日本の雅楽にとって極めて重要な楽曲だ。

「蘭陵王」の舞いでは、演者が木製の仮面を着用する。中国から日本には、「伎楽」と呼ばれる音楽を伴う仮面劇も伝わった。日本で発生した「猿楽」や「田楽」と呼ばれる民間芸能は、雅楽や伎楽の影響を受けて仮面を取り入れた。そして「猿楽」や「田楽」が昇華させることで「能」が成立した。極

めて日本的な芸能の「能」だが、その仮面の祖先をたどれば、中国に行きつくことになる。

■工夫が必要な場合もあるが、外国人もすばらしい中国音楽を理解する


中国の音楽文化は今も、外国人に強い印象を与えている。2007年4月には東京都内で中国政府が主催する、中国の音楽や舞踊の夕べが開催された。私はこの催しの音楽監督と司会者を務めた。この時には、唐代に作られた「琴」の演奏も披露された。私は聴衆に「この琴が世に送り出された時、李白は55歳、杜甫は44歳でした」と解説した。すると会場からは、驚いたような息を吸う音が聞こえてきた。

二胡のレパートリーとして、「二泉映月」という曲がある。世界的に活躍する指揮者の小沢征爾氏はこの曲を初めて聴いた時に涙を流して「このように音楽はひざまずいて聴くべきだ」と述べた。

東京での催しの約1週間後にはパリのユネスコ本部で「中国非物質文化遺産芸術祭」が開催された。この催しでは「二泉映月」の演奏があったので、私は小沢氏のエピソードを紹介した。

私は終演後に、通訳を務めた若い女性に「ひざまずいて聴くべき」をどう訳したのか尋ねた。すると彼女は、直訳しても西洋人にはピンとこないので、「教会で神聖な音楽を聴く時と同じにせねばならない」と訳したと教えてくれた。西洋人は宗教音楽をとても尊敬するから、そう表現したのだという。

彼女の機転も奏功したのだろう。会場は静まりかえり、聴衆は心からの尊敬の念を持って「二泉映月」に聴き入っていた。

「二泉映月」は20世紀前半に江蘇省の無錫で暮らしていた、貧しく盲目の阿炳と呼ばれた民間音楽家(本名・華彦鈞)が遺した曲だ。この曲は、まだ目が見えた若い時に見た、「二泉」という有名な泉に映った月の情景を思い出して創作されたものだ。ユネスコ本部での演奏では外国人の聴衆にも、この盲目の芸術家の心の声を聴き取ってもらえた。(構成 / 如月隼人

※記事中の中国をはじめとする海外メディアの報道部分、およびネットユーザーの投稿部分は、各現地メディアあるいは投稿者個人の見解であり、RecordChinaの立場を代表するものではありません。

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